13. 本

2017年5月21日 (日)

『奇跡のコース』ワークブック完了

Acimw_2 先週の大阪行き新幹線の中で『奇跡のコース』ワークブックの365のレッスンを遂に完了。
 
家を空ける時には、その日読む分だけ写真に撮って、出先で読んでいた。
 
この先は具体的なレッスンはなく、必要なことは聖霊が導いてくれるだろう。
 
 
とはいえ、次は何をやろうかな~と思案中。
 
『ホワイト・マジック』?
 
チベット系?
 
DK大師はチベット人だから、どっちにしてもチベット系か・・・
 
最近、瞑想の師に出逢えたのかもしれないと思う日々。
 
 
 
★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜
 
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2016年12月 7日 (水)

『あるヨギの自叙伝』 ~精神の摩天楼

Yogananda_2 先日のインド映画「PK」つながりで。
 
ちょうどこの映画のことを知る直前に『あるヨギの自叙伝』を読んだのでした。
 
随分前(15年くらい?)からこの本の存在は知っていたけど全く意識が向かわなかった。
 
そして今年の春先にこの本の内容が映画になったのも知ってたけど全然興味なし。
 
それが、9月頃にふと読む気になった
 
それは、『奇跡のコース』のテキストを読み終わって、真実を書いてあるとは思うけどあまりにもキリスト教的なところが肌に合わず、もっと他に同じようなことを言ってる人はいないだろうかと思ってるうちにAmazonのボタンを押していた(^^;
 
そしたら、大正解で、私がこの本を読むタイミングは今しかなかったんだろうな~と。
 
『奇跡~』で「世界はない。世界は幻。聖霊の視点に立ちすべてを赦すことで世界は消える」ということを言ってるけど、ほぼ同じことが書いてある。
 
そしてそれはインドでは古くはヒンズー教の聖典『バガヴァット・ギーター』の中で紀元前何世紀かに書かれていた!
  
同書の主人公で著者、実在の人物パラマハンサ・ヨガナンダは西欧・ニューヨークの物質的摩天楼に対して、インドのことを「精神の摩天楼」と言う。
 
映画『PK』では宗教の形骸化した面が主に取り上げられていて、ややもするとこの映画を観た人は「やっぱり宗教なんて要らない」と思ってしまうかもしれない。
 
だけど、山ほどあるインチキを掻き分け、掻き分けしていくと、とんでもない霊的な財宝がインドにはやっぱりあるんだ!!と大発見。
 
ヨガナンダ、恐るべし!
 
FBで繋がってる人達は玄人さんが多くて、十牛図で言ったらとっくの昔に牛を捕まえておうちに帰ってるような人たちばかりだから、私が今更ヨガンナダすごいとかいうことを書くことがすごく恥ずかしいんだけど、私はまだまだ牛のしっぽを追いかけてる段階だから許してほしい。
 
ヨガナンダはヨガの行者で、神との合一を完成させた人。
 
ヨガというと今ではフィットネスみたいな、スポーツみたいな、アクロバットなことをやるものみたいだけど、ヨガの本当の目的は「神との合一」を果たすこと。
 
そして、ヨガナンダは師匠から欧米にインドの叡智を伝えるためにアメリカに派遣されて、多くの欧米人に対してその教えを広めた。
 
 
ヒンズー教の真理とキリスト教の真理は同じであること(世界のあらゆる宗教の本質はひとつ)。
 
本当の真理は知的理解ではなく、自ら瞑想することによってのみ知る(体験する)ことができるということ。
 
被造物の二元性から抜け出して、創造主の一元性に目覚めることが、人間の最高の目標である」こと。
 
物質的宇宙は実在しない。それはマーヤによって織りなされた幻想にすぎない」こと。
 
そのような真実を本当に把握すれば、どんな奇跡を起こすことも可能だということ。
 
 
実際にヨガナンダが行ったり、彼の師匠たちが行った奇跡のエピソードの数々も紹介されている。
 
一番すごいのは、ヒマラヤの岩山に一瞬にして宮殿を造ってしまった彼の師匠の師匠のそのまた師匠「マハー・アヴァター・ババジの話。
 
マハー・アヴァター・ババジはなんと数百年間、肉体を持って生きているらしい。
 
それから、最後に、ヨガナンダは1952年3月7日、ロスアンゼルスのホテルにおいて、駐米インド大使のための晩餐会であいさつした後、自らの意志で肉体を脱ぎ捨てて逝去した。
 
ヨギがそのように肉体を離脱することを「マハーサマディー」と呼ぶ。
 
ヨガナンダがそのような肉体からの去り方をしたのは、人間は「肉体ではない」ということを人々に知らせるため。
 
すご~い!
 
こういう話を信じるも信じないも、自由。
 
私は、基本的に信じる。
 
というか、そういう可能性に大いに私のマインドのスペースをオープンにしている。
 
『あるヨギの自叙伝』、2段組560ページ。
大作だけど、『奇跡~』を読んだ後ならお茶の子さいさい(*^-^*)
 
   
 
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2016年9月24日 (土)

『心身の神癒』

『奇跡のコース』に続いて、というか半分並行して、『心身の神癒』という本を読みました。
 
これは1948年に南アメリカのヨハネスブルクで、マクドナルド・ベインという人にイエス・キリストがオーバーシャドウして語った講和を記録したものです。
 
最近こんなのばっかり読んでます。
 
今年の春先に読んだ『黎明』の中で著者の葦原瑞穂氏が、イエス・キリストの名を語る世界に数あるチャネリング系の書物の中で、この2冊の本だけは本物だと推薦していたので読んだ次第です。
 
『心身の神癒』は文体が古臭いので、最初は全部読むのは無理かも、と思ったのですが、『奇跡のコースを』2/3くらい読み進めてからこちらを手に取ったら、文章が簡潔だし、内容は『コース』とだぶる(情報の出所が一緒だから)ので、それはそれはスイスイと読めてしまいました。
 
冒頭はこんな感じで始まります。
 
1.神は愛であり、愛は神である。しかしそのことが何であるかを知っているものはいない。ただわれわれだけがそれが実在であることを知っている。あなたたちはおそらくそれについていろいろと理論を立てて来たであろう。 - しかし、そのようなことは決して為てはならないのである。外部からの種々様々な意見に染まることなく、真理自体を開顕させるべきであり、又、こうであると最終的に断定してしまってはならない、断定してしまえば真理に至る道が閉ざされてしまうからである。
 
2.愛は全宇宙の中心である。この中心より絶えざる愛の流れがすべての魂、生きとし生けるものを通じて流れている。花々を通じ、動物たちを通じ、人間と天使たちとを通じて、この愛が中心の泉より絶え間なくもながれ、愛自身の真実の相を永遠に表現わしている。
 
3. 愛は鉱物における親和力である。愛は花々における本質である。愛は動物の本性となって現れ、人にあって愛は愛情となって表れる。このことを完全に悟ったときその人の全存在は愛に満たされ、肉体の全細胞が活力を得るのである。
  『心身の神癒』(M. マクドナルド・ベイン著、霞が関書房)(P25)
『奇跡のコース』は文章があまりに複雑で、いかにもニューヨークなどのインテリ層に向けて書かれているような趣があり、知的に理詰めで理解させようという感じが強く、はっきり言ってあまり読み返す気にはなれません。(くどくて、強迫的な文章。いや、単に私のIQが足りないだけかも(^^;)
こっちの方はよりシンプルで、私のハートに直接響いてくる感じで、折に触れて手に取って読み返せそうです。
 
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2016年9月16日 (金)

『奇跡のコース』読了

Fullsizerender_5 一昨日、『奇跡のコース』のテキスト編を読み終えた。
 
本文は1ページ2段組みで915ページある。
 
5月初旬から読み始め、毎朝、一日もかかさず読み進めること約4か月。
 
この書物は、イエス・キリストが1965年のある日からニューヨークの心理学博士の女性に語りかけた言葉を7年間にわたって書き取ったもの。
 
まあ、それが本当にイエスの言葉かどうかはわからないけれど、とても重要な教えがかかれていることは確かだと思う。
 
宗教的な内容を心理学者のマインドを通して伝えられているところがとても興味深い。
 
編集を手伝ったのも心理学者。
 
そして出版の段階になって協力してくれたのが霊能者だったりするという、この本が出版されるまでの経緯なんかもものすごく興味深いのだ。
 
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難しい言い回しに、後半は目が文字を追っているだけの部分もかなりあったけれど、伝えたいことはシンプルで(でも一般には受け入れがたいかもしれない)、文章は格調が高く、毎朝一定の時間をキリスト意識と自分を共鳴させる時間はとても有意義で至福だった。
 
奇跡のコースが教えるのは、愛。
 
というか、愛とは体験するものであり、言葉を超えており、世界中に遍満するものなので、愛の意味を教えることはできず、その愛を体験するのを遮っている「障壁を取り除く」方法を教えている。
 
そのためには世界の見方(知覚)を変えること。
 
この世界は自分の心が映し出されているだけで、自分の知覚を変えれば世界が変わる。
 
完全に知覚が変わるとこの世界はなくなるそうだ!
 
この辺は仏教の唯識なんかと共通するのではないかと思う。
 
 
私たちの本質は肉体ではなくスピリット。
 
スピリットは永遠不滅で、完全で、誰からも決して傷つけられることはない。
 
スピリットは個別化した神。内なるキリスト意識。
 
分離は自分が肉体だと思っている人の幻想。
 
幻想から目覚めることで永遠の生命を自覚する。
 
幻想から目覚めるためには、とにかく世界のすべてを赦すこと。
 
他者を赦し、自分を赦す。
 
他者を赦すことは自分を赦すこと。
 
他者の中に神を見ることは自分の中に神を見ること。
 
自分が愛を体験したかったら他者に愛を与えること。
 
愛とは「神を延長する」こと。
 
でも、他者を赦すって意外と難しいから、一人でやろうとしないで、「聖霊に助けを求める」。
 
ちょっとの意欲があれば、あとは聖霊が助けてくれるんだって。
 
なんだか嬉しい(*^_^*)
 
 
でも、この書籍、あまり一般の人には勧められない・・・。
 
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で、この考え方って、ホ・オポノポノととても似ている。
 
ホ・オポノポノの本を何冊か読んだけど、あまり詳しく解説してるものがないので、その癒しのメカニズムがかなりブラック・ボックス的。
 
でも、世界は繋がっていてひとつなのだから、他者のふるまいと自分とはどこかで何かがつながっているわけで、潜在意識レベルではどこに自分との結び目があるのかよくわからないけれど、その何かに向かって「ありがとう。ごめんなさい。許してください。愛しています。」と言うのは結構意味がある気がする今日この頃。
 
『奇跡のコース』の思想の実践として、ホ・オポノポノを唱えたりしてます。
 
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ところで、テキスト編は読み終わったものの、実践編であるワークブックはまだレッスン134まで進んだところ。ワークブックは世界の見方を変えるための365個のレッスンをやっていくもので、1日に1つ以上やってはいけない。
 
なので、こちらが完了するのは来年の5月だ。
 
今しばらくは「J」とのつきあいは続く。
 
  
 
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2016年5月15日 (日)

隠遁、読書生活

最近は自分をリセットする時期のようで、あまり仕事もせず人にも会わず、ひたすら読書してます。
 
いえ、正確にいうと聴書。
 
You tubeで『ニュー・アース -意識が変わる 世界が変わる- 』を朗読してくださってる人がいると知り、聴いてみたら声の雰囲気がとてもよいので、3度目の再読途中から聴書に切り替え。
 
そして、その方は『ニュー・アース』以外にも悟り系の色んな本を朗読しているので、次々と聴くようになりました。
 
スマホで聴けるので、新緑がとても美しいこの季節、緑の中を歩きながらず~っと聴いてます。
 
そして一冊を聴き終わるとやっぱり書籍も欲しくなって後から購入。
 
 
『神の使者』は『ニュー・アース』を読む前から読書を始めていたものの、『ニュー・アース』のシンプルで仏教的な文章に感動した後には『神の使者』はあまりにもキリスト教的なので文章が身体に入ってこなくなって、中断してしまっていた。
だけど、You tubeでの朗読が素晴らしくて(登場人物ごとに音声を変えてある!)、結局続編まで読んでしまった。
 
でもまさかここまでは手を出そうとは思ってなかった『奇跡のコース 』のことを、『黎明 』(上・下)の著者が推薦していたので、ワークブックと合わせて分厚い本を買ってしまいました。
 
『黎明』は唯一、日本人の方が書いているのだけど、スピリチュアル世界のあらゆる面のことを包括的に書いてあるので非常に役立った。
アリス・ベイリーの世界にのめり込めない私は、世界は「無・空」という考えと、神智学的な見えない世界の階層構造や占星術的な考えや過去生やエネルギーのことなどをどうやって両立させて考えたらいいのかわからなかった。
でも『黎明』では、真実はただひとつの普遍意識しかないといい、それの「現象面での現れ」として色々なことが説明されているので、なるほど~と思えるのだった。
 
 
Emaさんという一人の女性がYoutubeの中でお薦めしてるので、中身はだいたい同じようなことが書いてあるのだけど、彼女の落ち着いた声を聴いているだけでとても気持ちいい。
 
共通して出てくるキーワードは
 
今ここ、静寂、愛。そしてエゴ、思考、自我、夢、幻想、物語。
 
私はエックハルト・トールの言うように「今ここ」で「時間がないふり」をしながら、過去にも未来にも思い煩うことをしない練習をしています。
 
そして、「何かをすることを止める」。
 
そうしてると新緑の美しさや小鳥たちの可愛らしさが目に飛び込んでくることもある。
 
でも、何もしていない自分に恐れや不安が湧き上がってくる。
 
こんなことしてて大丈夫?
 
お金無くなって生活できなくなってしまうかも?
 
働いてない自分に対する罪悪感、無価値観・・・
 
こういう恐怖から解放されたいものだ。
 
そのためにはそれらの罪悪感、無価値観、恐怖から逃げないこと。対峙すること。
 
内側から湧いてくる喜びの表現として何かをしたくなるのを待ちたい今日この頃です(*^_^*)
 
★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜
 
ところで、昨年入学した通信制の大学は3月末であっさり退学しました。
やっぱり自我レベルに限定された学問はあまりにも退屈で、結局自分は社会的に認められる資格が欲しいだけだったんだな~と自認し、そういうのはもういいや、と思えたから。
それに、大学の仏教の授業を聴いたときに、講師の先生は仏教を思考で解釈しようとしてるんだな~と思って、なんだかひどくガッカリしてしまったのでした。
さぁ、私はこれからどこへ行くのかなぁ~。
不確実性の中に、わからなさの中に安心している、ってこともテーマのひとつ、です。。。
 

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2016年3月11日 (金)

エックハルト・ト-ルの『ニュー・アース』がすごくお薦め!

Fullsizerender1 私が信頼する複数の方々が良いと言ってるエックハルト・トールさんの本『ニュー・アース -意識が変わる 世界が変わる- 』をやっと読みました。

いや、すご~くいいです!

わたし的に久々の大ヒットな感じ。

何よりもとても分かりやすい言葉で大切なことが全て書かれていると感じました。

私が何年もの間に探求してきたこと(ゲシュタルト、エサレン、クラニオ、バイオ、フラワーエッセンス、ラビングプレゼンス、マインドフルネス、エソテリック等)の本質がこの本の中で全て説明されている気がするし、私のところに通っているクライアントさん達にもぜひ読んでほしいです!

テイストとしては仏教的な感じ。

これって、般若心経の内容じゃないかな。

色即是空、空即是色。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

だけど、そこまで難しいところへ行く前に、私たちを苦しめている根本原因について説明してくれています。

前半は、「エゴ」について詳しく書かれていて、心理学・心理療法的です。

私たちが普段「私」と思っているものは「エゴ」という無意識状態であって、思考や感情、形あるものへの同一化。

アダルトチルドレンのことを機能不全家族で育った人などと言うけれど、実際は人類全体がほぼ「機能不全」な状態であると。

苦しみから逃れるためには、自分に起こっている自動思考(ほとんど妄想状態)や感情に気づくこと!

やっぱり「気づき」なのです。

その気づきを繰り返すことでエゴから離れ、その奥になる「大いなる存在」としての自己を感じることができるようになる。

そして気づきとは「今ここ」にあるということ。

過去への執着や未来への不安は全て思考の中で起こっていることで、今ここを取り逃がしている。

そして幸せも何もかも「今ここ」に詰まっている。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

次に「ペイン・ボディー」(感情的に傷ついた体)=(感情体やアストラル体のこと)について説明されてます。

これらエゴ、思考、ペイン・ボディーの仕組みを知ることで、自分を困らせている状況に陥った時に「あ、これは思考だ!」「ペイン・ボディーが反応してるんだ!」と気づくことができるようになる。

それをひたすら繰り返すことが苦からの解放になり、悟りとなる。

気づきとは小さな悟り。

本の後ろの方にになってくるととてもスピリチュアルな意識状態について言及され出して、私にも実感として感じづらいところもある。

けれど、今ここに気づきを持って生きることで、無限にして永遠の次元~神~が「私」を通じて立ち現われるという教えは、ぜひぜひ実際の生活で生かしていきたいと強く思うのでした。

今ここを深めるための瞑想としてのクラニオ・ワークショップを、この本を通読しながら連続してやってみたいな~などと思っています。

 

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心と体のセラピースペースAlma Mater(アルマ・マーテル)

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2016年1月16日 (土)

心理療法・その基礎なるもの

心理療法・その基礎なるもの~混迷から抜け出すための有効要因』という本について書きたいと思ったのはもはや何年も前のことで、実際にブログに書いたことあるかどうか忘れてしまった。

たぶん書いてないのでやっと書いてみる。

世界中には実に様々な心理療法があって、その種類たるや数百種類?

私もそのいくつかを一生懸命勉強したし(百万円以上かけたものもある)、今でも興味を引かれる療法がすぐに目に耳に飛び込んでくる。

だけど、この本に書いてあることを知るにつけ、「な~んだそうだったのか」と脱力する。

この本によれば、クライエントの回復にとって色んな心理療法の技法の違いは全く優位差がないということ。

調査によれば、クライエント回復の要因の比率は以下の通り。

①「治療外要因40%」
②「治療関係30%」
③「理論・技法15%」
④「プラシーボ効果15%」

 ①治療外要因とは、「クライエントが、心理療法の結果に対する唯一の、最も有力な貢献者である」ということ。

「どんな治療でもそれがうまく行くかどうかを決定するのは、クライエントがどんな関わり方をしているかという関与の質と、彼らがセラピストをどう知覚しているかというセラピストに対する知覚、そして、セラピストがやっていることはどんなことかということなのです。実際には、クライエントの、強さやリソース、苦しんでいた期間、社会的援助、生活環境、その人生を綾なす偶然の出来事などの全体的な生活基盤が、セラピストがやっていこうとするいかなることよりも重要なのです。クライエントこそが、心理療法における変化の真の達人であり、このことは調査研究によって存分に、明らかにされてきています。つまり、彼らはいつもセラピストよりももっと力を持っているのです。」(P35)

②治療関係というのは媒体であり、それによってセラピーのプロセスが実行され、体験されていきます。
強力な治療同盟を創り上げるのに最も大切なことは、ロジャーズが効果的な心理療法の「中核条件」と考えた、共感、尊敬、純粋性です。
強力な治療同盟は、クライエントがセラピストを、温かくて、信頼でき、客観的で、共感的だと気がついたときに形成されることを示しています。(P37)

③心理療法の技法がクライエントに与える影響力は全体の15%しかありません。
「クライエントたちはセラピストの技法には、ほとんど何の印象も受けてはいないのです。」(P38)

④治療技法と同じパーセンテージを示すのがプラシーボ効果。
「ただセラピーを受けようと決めることで、クライエントが体験する改善の一部分を担うことになるのです。」
「単に、セラピーに援助を期待することで、士気阻喪を防ぎ、希望を動員し、改善を推進する効果があるのです。」
「精神病理学を強調したり、変化の性質は困難で長期にわたると強調することで、クライエントに悲観的な態度が伝わると、この要因の効果は最小となり、損なわれてしまいます。同時に、セラピーがうまくいく可能性や信念が強調されると、希望や改善への積極的な期待がクライエントに点滴されるのです。」(P39)

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・

まあ、結局、数ある心理療法というのは、専門家が専門家に対して自分の療法を差別化するために、新しい言葉を編み出して売り出しているだけだということ。

そして、セラピストに対してその新しい療法という新商品を売るということだ。

セラピスト市場、大賑わい。

私もそこそこ踊らされている。

でも、私は上記の原則はよ~く心に刻みつけている。

セッション始めた頃は「私は単なる言葉によるカウンセリングではなくて、もっと効果の早いゲシュタルト・セラピーやハコミセラピーをやっている」ことに誇りとこだわりを持っていたけど、それは単なる私のこだわりで、特別な療法を求めてくるクライエントさんというのはごく少数で、ほとんどの人は「この心の苦しさを何とかしたい!」という思いだけだと気付くまでに少し時間がかかった。

今ではカウンセリングだけでも十分だと思う。

様々な技法に手を出すのは、結局一番肝心な「共感、尊敬、純粋性」が出来てないからなんじゃなかろうか?

「共感、尊敬、純粋性」というご飯があれば生きていける(o^-^o)

そこに、おいしそうなおかずをトッピングしてみてもいい。

これからも、面白そうなものがあったら遊び感覚で首を突っ込んでみたりする予定。

以上は心理療法についてだけど、ヒーリングにおいても同じなんじゃないのかなと思う

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

1月30日(土)にエンカウンター・グループ@東京江戸川区開催します。

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2015年5月10日 (日)

私は私だけの道を歩む

合宿会場では偶然にお会いした知り合いが数名いた。

中で一人、因縁の友と再会した。

長年私のブログを読んでいてくれる人には何年か前にも登場した人。

大喧嘩して、3年後に仲直りした。

お互いに歩む道は全然違うし、一緒に何かを出来るとも思えないし、あまりに本音でぶつかってくるので一触即発の危険性があって、こちらからわざわざ連絡する気もない。

でも、結構いつも気になっていて・・・。

以前はごくご近所さんだったから、たまに道端でばったり会った時に延々長話したりした。

でもこの2年くらい全く出会わないから、きっと引っ越したんだろうな~と思ってた。

二人とも似たようなワークショップやセミナーや聖地に行ったりするのだけど、その度にその純粋性にお互いに疑問を感じ、彼女は私の死角を容赦なく突いてくる。

だけど、そこまでぶつかるのは、お互いに本当に純粋なものを求めているから。

なんでそんな特別なことするの?
どうしてそんな遠くまで行くの?
本当は何も要らないのに・・・ってお互いに思ってる。

会場で彼女を見つけて声をかけると、彼女は苦笑い。

だけど、話し出すと止まらない。

そして、休憩時間に顔を合わせる度に、「どう?」とちょっと意地悪な目をしながら、お互いの感覚を確かめ合う。

そんな彼女に、どうしてこの合宿に参加したのか訊いてみた。

そしたら、偶然Eテレの「こころの時代」を見て、「えっ!?これは何??!!」とビンビンにハートに伝わってくるものがあって、プラム・ヴィレッジに行かなきゃダメかなと思ったけど、1ヶ月も休むのは大変だし、先ずは日本で行なわれる集まりに参加してみようと思って合宿に申し込んだ、と。

「私、あの番組見て泣けちゃったよ。言葉がどうのとかじゃなくて、ティク・ナット・ナンの存在と番組全体から伝わって来るものがすごくて・・・」と言うと、彼女も「私も!」、と。

そうなんだよ!

やっぱり一番大切なものはその人の存在そのもの、プレゼンスしかないんだよね!と。

いつもお互いに毒舌なのだけど、肝心のところでは、言葉以前の、言葉以上のものを感じ取る共通した感性を持っている。

それに、感動してしまった。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

リトリートで、5つのマインドフル・トレーニングを受ける申請と証明書の授与式があった。
5つのマインドフル・トレーニングとはすなわち仏教の五戒のこと。

仏教において在家の信者が守るべきとされる基本的な五つの戒とは以下のこと。

    不殺生戒(ふせっしょうかい)
    不偸盗戒(ふちゅうとうかい)
    不邪淫戒(ふじゃいんかい)
    不妄語戒(ふもうごかい)
    不飲酒戒(ふおんじゅかい)

それを規則や禁止としてではなく、マインドフルに生きることで自然に起こる気づきとして実践することを誓う。

リトリートのテキストに載っている文章も、現代風に洗練された言葉で現代に相応しい形でいのちを与えられている。

 1.いのちを敬う
 2.真の幸福
 3.真の愛
 4.愛をこめて話し、深く聴く
 5.心と体の健康と癒し

それはマインドフルに生きる決意表明みたいなもので、それは要するに「受戒」であり、仏門に入った証であり、戒律を守るとしていわゆる「戒名」が与えられる。

参加者400名のうち約270名が受戒した。

でも、私はしなかった。

五戒を心がけることはできるけど、誓えないし。

それを受けることでどうしてもある種の枠組みに縛られ、在る種の色を帯びてしまう気がして息苦しくなってしまう。

ほとんどの人はそれを受けるだろうから、それを受戒しないことには勇気が必要だった。

そして受戒のセレモニーの後にはサンガ達の連帯感は一層深いものとなった。

そこに乗れない私・・・。

苦しい。

でも、やっぱり自分に嘘をつきたくない。

私は本当に自分の心の中から湧き上がって来るものに従いたい。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

一人になってから、ふと、ヘルマン・ヘッセの『シッダールタ』を思い出した。

『シッダールタ』は『デミアン』と並んで私の座右の書。

この小説の中のシッダールタは歴史上の人物ではなく、空想上の、悟りを求めて彷徨うあるバラモン僧の話。

シッダールタは出家して熱心に修行を続ける中で、覚者と出逢う。

その覚者は言葉だけはなく、その話し方、髪の毛から指先、歩く姿、その存在全体から本当に目覚めた者の姿を体現している。

シッダールタはその姿に感動する。

シッダールタの親友ゴーヴィンタは覚者の素晴らしさに心打たれて覚者の弟子となるが、シッダールタはそれでもなお弟子となる道を選ばず、自分自身を知るために別の道を行く決心をする。

そして、僧侶の道を歩むことを止め、一般世間の中で生きる道を選ぶ。

その後、人生のあらゆる喜怒哀楽を経験しつくし、最後は川の渡守となって、川を見つめるうちに悟りに至る。

その物語を思い出して、私はこれでいいんだと、確信した。

そして、いつも人生の重要な局面で私はヘッセの魂とつながっていると自覚した。

ヘッセは私のSpiritual ancestorだ。

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2014年4月 8日 (火)

『消えたい』

「消えたい」と思ったことありますか?

あるいは「死にたい」と思ったことは?

最近わたしがハマっている精神科医・高橋和巳先生の最新刊『消えたい』は、幼少の頃に虐待を受けて育った人たちの話。

「死にたい」というのは、「よりよく生きたい」という希望がありながら、その願いが叶わずに苦しみを感じる気持ち。

それに対して「消えたい」は、「生きたい」という前向きな希望を持つ機会すらなく、ただひたすら生き抜くことのみに追われ、努力しても努力しても報われることがなく、力尽きて消えてしまいたいというような気持ち。

あるいは、この社会に自分という存在をうまく確認できないような人達。

 

虐待には、一般的に身体的虐待、心理的虐待、性的虐待、ネグレクトの4種類があるが、高橋先生はそれに加えて「心理的ネグレクト」を重要視している。

普通のネグレクトは育児放棄であり、ごはんも与えない、風呂にも入れない、などであるが、心理的ネグレクトとは、そういう身体的な世話は普通に与えるが、子供の情緒に対して無関心で、母子の間に情緒的なやりとり(愛着)が欠けている状態。

その母子間の情緒的なやりとりの欠如は、母親の知的障害や精神障害による。

そして、こういう被虐者のことを先生は「異邦人」と呼ぶ。

異邦人にとっては、普通とは何かがわからない・・・。

 

私もよく「普通がわからない」「あたりまえがわからない」という思いに囚われる。

あるいは、普通の人たちの輪の中に馴染めずに、集団の外側にいるような気持ちになることがしばしばある。

私も異邦人なのかな~・・・

私自身は母子間の愛着はあったと思うけど、人と馴染めない奇妙さは消えることはない。

だから、こういう「異邦人」さんに興味がある・・・。

どこか、遠い星からやってきたんじゃないか、という感じのする人。。。

 

もし「消えたい」と思ったことが少なからずあるようだったら、この本を読んでみたらいいかもしれない。

 

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

心と体のセラピースペースAlma Mater(アルマ・マーテル)

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2013年9月17日 (火)

火を見つめる

一昨日、焚き火を囲んだときのことを思い出すと本当に豊かな気持ちになる。

火のある場所に帰る安心感って、人間が狩猟民族だった太古の時代からの原初的な感覚なのかもしれない。

ところで、火を見つめることについて、昔読んだヘッセの『デーミアン』で主人公が火を見つめる行があったのを思い出し、読み返してみました。ちょっと引用してみます。

あの訪問以来ぼくが感じている、何かしら強くなったような、うれしい気持ち、

自己感情の高まりなどを感じるのは、ひとえに、あのむきだしの火を長いこと

見つめていたおかげだ、と気がついたからである。ああやっていると、妙に気

分がよくなり、心がゆたかになるのだった。

 ぼくがいままでに、ぼくの本来の人生目標に向かう途上で見出した数少ない

経験に、この新しい経験が加わったのである。こういう形象を観察し、自然界

の非合理な、こみいった不思議な形態にわれを忘れていると、ぼくたちの心

は、これらの形象を作りだした自然の意志と一致しているのだという感情が、

ぼくたちのなかに生まれてくる - やがてぼくたちは、こういう形象はぼくたち

自身の気まぐれであり、ぼくたち自身が作ったものだと思いたくなってくる - 

ぼくたちと自然界との間の境界がゆれ動いて消えてゆくのが見える。そしてぼ

くたちの網膜にうつる映像が、はたして外部の印象から出てくるものか、それと

も内部の印象によるものか、どちらともわからなくなってしまうような気分を味

わうようになる。この訓練こそ、自分たちがどれだけ創造主であるのか、世界

のたえざる創造に、ふだんどれだけ参与しているかということを、ぼくたちにい

ちばん手っとりばやく、いちばんかんたんに教えてくれる。いやむしろ、こう言う

ほうがよいかもしれない。つまり、ぼくたちのなかで働いているものと自然の

なかで活動しているものとは、同一の神であって、このふたつを分けて考える

ことはできないのだ、と。だから、たとえこの外部の世界が滅びてしまうとして

も、ぼくたちのうちだれかが、それを再建することができるだろう。というのは、

山や川、樹木や葉、根や花など、自然界の形成したものはすべて、ぼくたちの

なかに原型を持っているし、魂から発しているからだ。この魂の本質は永遠そ

のものであって、ぼくたちにはわからないものだが、愛の力と創造の力として、

たいていの場合、ぼくたちにもそれとなく感じられるものなのだ。

                    ヘルマン・ヘッセ『デーミアン』P151-152

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