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2015年5月10日 (日)

私は私だけの道を歩む

合宿会場では偶然にお会いした知り合いが数名いた。

中で一人、因縁の友と再会した。

長年私のブログを読んでいてくれる人には何年か前にも登場した人。

大喧嘩して、3年後に仲直りした。

お互いに歩む道は全然違うし、一緒に何かを出来るとも思えないし、あまりに本音でぶつかってくるので一触即発の危険性があって、こちらからわざわざ連絡する気もない。

でも、結構いつも気になっていて・・・。

以前はごくご近所さんだったから、たまに道端でばったり会った時に延々長話したりした。

でもこの2年くらい全く出会わないから、きっと引っ越したんだろうな~と思ってた。

二人とも似たようなワークショップやセミナーや聖地に行ったりするのだけど、その度にその純粋性にお互いに疑問を感じ、彼女は私の死角を容赦なく突いてくる。

だけど、そこまでぶつかるのは、お互いに本当に純粋なものを求めているから。

なんでそんな特別なことするの?
どうしてそんな遠くまで行くの?
本当は何も要らないのに・・・ってお互いに思ってる。

会場で彼女を見つけて声をかけると、彼女は苦笑い。

だけど、話し出すと止まらない。

そして、休憩時間に顔を合わせる度に、「どう?」とちょっと意地悪な目をしながら、お互いの感覚を確かめ合う。

そんな彼女に、どうしてこの合宿に参加したのか訊いてみた。

そしたら、偶然Eテレの「こころの時代」を見て、「えっ!?これは何??!!」とビンビンにハートに伝わってくるものがあって、プラム・ヴィレッジに行かなきゃダメかなと思ったけど、1ヶ月も休むのは大変だし、先ずは日本で行なわれる集まりに参加してみようと思って合宿に申し込んだ、と。

「私、あの番組見て泣けちゃったよ。言葉がどうのとかじゃなくて、ティク・ナット・ナンの存在と番組全体から伝わって来るものがすごくて・・・」と言うと、彼女も「私も!」、と。

そうなんだよ!

やっぱり一番大切なものはその人の存在そのもの、プレゼンスしかないんだよね!と。

いつもお互いに毒舌なのだけど、肝心のところでは、言葉以前の、言葉以上のものを感じ取る共通した感性を持っている。

それに、感動してしまった。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

リトリートで、5つのマインドフル・トレーニングを受ける申請と証明書の授与式があった。
5つのマインドフル・トレーニングとはすなわち仏教の五戒のこと。

仏教において在家の信者が守るべきとされる基本的な五つの戒とは以下のこと。

    不殺生戒(ふせっしょうかい)
    不偸盗戒(ふちゅうとうかい)
    不邪淫戒(ふじゃいんかい)
    不妄語戒(ふもうごかい)
    不飲酒戒(ふおんじゅかい)

それを規則や禁止としてではなく、マインドフルに生きることで自然に起こる気づきとして実践することを誓う。

リトリートのテキストに載っている文章も、現代風に洗練された言葉で現代に相応しい形でいのちを与えられている。

 1.いのちを敬う
 2.真の幸福
 3.真の愛
 4.愛をこめて話し、深く聴く
 5.心と体の健康と癒し

それはマインドフルに生きる決意表明みたいなもので、それは要するに「受戒」であり、仏門に入った証であり、戒律を守るとしていわゆる「戒名」が与えられる。

参加者400名のうち約270名が受戒した。

でも、私はしなかった。

五戒を心がけることはできるけど、誓えないし。

それを受けることでどうしてもある種の枠組みに縛られ、在る種の色を帯びてしまう気がして息苦しくなってしまう。

ほとんどの人はそれを受けるだろうから、それを受戒しないことには勇気が必要だった。

そして受戒のセレモニーの後にはサンガ達の連帯感は一層深いものとなった。

そこに乗れない私・・・。

苦しい。

でも、やっぱり自分に嘘をつきたくない。

私は本当に自分の心の中から湧き上がって来るものに従いたい。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

一人になってから、ふと、ヘルマン・ヘッセの『シッダールタ』を思い出した。

『シッダールタ』は『デミアン』と並んで私の座右の書。

この小説の中のシッダールタは歴史上の人物ではなく、空想上の、悟りを求めて彷徨うあるバラモン僧の話。

シッダールタは出家して熱心に修行を続ける中で、覚者と出逢う。

その覚者は言葉だけはなく、その話し方、髪の毛から指先、歩く姿、その存在全体から本当に目覚めた者の姿を体現している。

シッダールタはその姿に感動する。

シッダールタの親友ゴーヴィンタは覚者の素晴らしさに心打たれて覚者の弟子となるが、シッダールタはそれでもなお弟子となる道を選ばず、自分自身を知るために別の道を行く決心をする。

そして、僧侶の道を歩むことを止め、一般世間の中で生きる道を選ぶ。

その後、人生のあらゆる喜怒哀楽を経験しつくし、最後は川の渡守となって、川を見つめるうちに悟りに至る。

その物語を思い出して、私はこれでいいんだと、確信した。

そして、いつも人生の重要な局面で私はヘッセの魂とつながっていると自覚した。

ヘッセは私のSpiritual ancestorだ。

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