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2015年3月 7日 (土)

映画『羅生門』

昨日書いた『アドラー心理学入門』の中で、「自由」に関する記述があった。

鳥は真空の中を飛ぶことはできず、鳥が飛べるのは空気の抵抗があってこそ、ということ。

だから、私にとっての抵抗、他者との違いは、私に自由を与えるきっかけとなり、それがきっかけとなって色んな思いが浮かび、自己を知り、こうして文章を書く気にさせてくれている。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

このところ、黒澤明監督の映画『羅生門』を思い出す。

私には物理的な父親はいるけど機能的な父親がいないので、20代後半のある時期に黒澤明の中に私の理想の父親像を見て、ほとんどの黒澤作品を見て、それらの作品に魂を鼓舞されてきた。

『羅生門』は1950年に公開されて、ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞し、黒澤監督が世界に認められるきっかけとなった作品。

芥川龍之介の『藪の中』と『羅生門』が原作となっている。

舞台は平安時代の京の都。

ストーリーは、

「ある日、武士とその妻が盗賊に襲われ武士が殺される。
武士殺害の下手人として、盗賊の多襄丸と武士の妻が連行されてくる。
しかし、盗賊の証言と武士の妻の証言は食い違う。
さらには殺された武士の証言を得るため巫女が呼ばれるが、巫女を通じて武士は二人の話す内容とは全く異なる証言をする。」というもの。ここから引用

 

全ての証言者の証言が全くかみ合わない。

皆がウソをついているのかといえば、たぶんそうではない。

皆が、自分の立場から、自分のフィルターを通して、自分を正当化・理想化した物語を語る。

何が真実かわからない。真実は”藪の中”。

 
要するに、この世に絶対的な真実はない。

全ては主観である。

なんだか絶望的な気分に陥りそうだけど、絶望する必要はない。

 
私にできることは、なるべく客観的な考察をしつつも、最終的には自分の主観で自分にとっての真実を選ぶこと。

主観的真実を選んでいることに責任を持つこと。

自分の選択と行動とその結果に責任を持つこと。

当初選んだものが間違っていると気づいたら、その時は潔くそれを手放すこと、だと思うのであります・・・。

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