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2015年3月

2015年3月22日 (日)

映画『おみおくりの作法』

お彼岸の日の昨日、映画『おみおくりの作法』を観た。

1月末に上映始まってからずっと気になってたのに観たのが春分の日、お彼岸、ってなんとなく自分で納得。

とても地味~な映画。

英国、ロンドンの民生係の冴えない中年男性が、孤独死した人の弔いを担当している。
故人の身元を調べて肉親等に連絡したり、故人の宗教に則って葬儀をしたり。

だれも参列しない葬儀。

でも彼はいつも故人に敬意を込めて弔いの儀を執行っている。

だれにも顧みられない、感謝もされない仕事を淡々とこなしている。

ネタばれになるから詳しくは書けないけど、現世的にいったらあまりに哀しい、切ないラスト。

なんだけど、その静かなラスト・シーンで、とても静かに、だけど熱く、魂を揺さぶられた。

彼の誠実な人生、自分の内面に誠実な人生、生きている人にも死んだ人にも誠実に生きた人生。

とてもとても豊かな人生。

原題は”Still Life(静かな人生)”

それでいいんだな、と思った。

魂をリセットされました。



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2015年3月19日 (木)

再び大学生になります^_^

昨日、武蔵野大学通信教育部から合格通知が届きました(誰でも合格できる)。

来月からほぼ30年ぶりに再び大学生になります!

大学院じゃないよ!学部だよ!!

人間科学部人間科学科心理学専攻、に3年次編入です。

「えっ?今さら心理学??!!」

はい、そうなんです・・・。

モグリで心理療法&カウンセリング始めて早何年?

そして一年発起して挑んだ精神保健福祉士の勉強、本当に面白くて興味深かった。

やっと本当に勉強したいものに出逢えたと思った。

でも、PSWの勉強では心理学はほんのさわり程度しかない。

で、欲深い私は更に欲が出てしまい・・・・・・。

この際、一から、アカデミックな心理学を勉強し直したいと思うに至りました。

 

思えば高校生の頃、大学で何を勉強したいかな~と思ったとき、心理学とか、哲学とか・・・と思ったものでした。

でも、本当に何がやりたのかなんてわからずに、学力も経済力もなく、とりあえず入れてくれる大学に滑り込んだのでした(^_^;)

だから大学の4年間は勉強つまらなくて、ほ~んと密度が薄い時間だった。
打ち込んだのは英語劇のサークル活動のみ。

やっとこの歳になって自分の好きなことを見つけて、それを仕事にできて、やっと自分自身になれた、とホッとしている。

(自分自身なんて、そんなに浅いものじゃないけど、とりあえず・・・)

たぶん高校卒業してストレートで心理学学んでもきっと面白くなかったんじゃないかな。

これまで実践を積んできた今だからこそ、それらの経験を理論的に整理していけるんじゃないかと思う。

心理学なんて、ウィルバーの意識のスペクトルから言ったら一番上の階層だけですよ。

だから、もっとすごいこと勉強したい、みたいな気持ちがあった。

でも、普通に一般常識的な知識を持つことも十分大切よね、と「普通」にもっと敬意を持って生きたいと思う今日この頃です。

問題は、今年に入って仕事がとても忙しくなってきたので、いったい勉強する時間あるのかな~?ということです。

でも、私は自営業ですから、時間を作るのは自分の意志でできるはず。

まあ、少し長く時間がかかってしまっても、なんとか最後までやりきりたいなと思います。

(歳とともに目も良く見えなくなるし、記憶力も低下するし、やりたいことをやるのは今のうちです!)

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

昨日、早速学費を振込みに行った郵便局では、なんと局内に淹れたてコーヒーの販売機がありました。

ふんわりとコーヒーの香の漂う郵便局って、不思議。

この待ち合いイスに座って優雅にコーヒー飲む人なんているのかな?

でも、ここの郵便局の接客はとても良いので、行くと良い気分になれます(o^-^o)

Fullsizerender

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2015年3月12日 (木)

ふぐ

Img_0569 週一で勤めてるクリニックの隣のビルにはふぐ料理屋さんがあって、店先のいけすには今宵の食卓に上るふぐちゃんたちが何も知らず(?)泳いでる。

ふぐと言えば高級料理だけど、その体には毒があることを誰でも知っている。

毒さえ口にしなければとても美味。

でも、たまに毒のある部分を食べて死んじゃう人もいる。

命の危険を冒してでも、おいしいものを食べたいという人の心の不思議。

ふぐが安全に食べられるようになるまでに、いったいどれだけの人達が食べ方を研究してきたことか。

試行錯誤の繰り返しで、命を落としていった人もたくさんいるんだろうな・・・

でも、そういう人たちのお蔭で、私たちはふぐのおいしさを味わうことができる。

 
毒があるからふぐはダメ!じゃなくて、おいしい部分と危険な部分をちゃんと知ること。

料理の仕方を知ること。

万一中毒になった場合の対処の仕方を知ること。

そうやって創意工夫するのが人間の知恵か・・・。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

美しいバラの枝にはトゲがある。

ユリの球根には毒があると言われるが、毒を持つユリ科の植物は限られているらしい。

 

より良く知ること。

観察すること。

そして、それを必要な人には知ってもらうこと。

 
全か無かではなく、折り合いをつけること。

 
・・・などということをつらつらと思う今日この頃です。

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2015年3月11日 (水)

GW新緑のホリスティック・リトリート山小屋合宿開催します

諸般の事情により中止となりました<(_ _)>

恒例となってまいりました赤城山の山小屋合宿が加瀬浩子さん他のご協力で今年もGWに開催されます。

主役は赤城山の自然と山小屋。

次に参加者の皆さん。

今回はクラニオ、ゲシュタルト、エンカウンター、色んな要素の詰まった時間となります。

でも、何かをすることが目的ではなく、皆んなと一緒に「ただ在る」ことが目的です。新緑の山小屋で一緒に豊かなトキを過ごしましょう♪

詳しい情報とお申込みは浩子さんのブログからお願いします。
http://ameblo.jp/void-kuneruasobu/entry-11997505617.html

(既に3名の男性からお申込みがあり、部屋割の都合上、残席は女性2名様のみです。ご希望の方はお早めに!!)(3/12現在)
Yamagoya2

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2015年3月 7日 (土)

映画『羅生門』

昨日書いた『アドラー心理学入門』の中で、「自由」に関する記述があった。

鳥は真空の中を飛ぶことはできず、鳥が飛べるのは空気の抵抗があってこそ、ということ。

だから、私にとっての抵抗、他者との違いは、私に自由を与えるきっかけとなり、それがきっかけとなって色んな思いが浮かび、自己を知り、こうして文章を書く気にさせてくれている。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

このところ、黒澤明監督の映画『羅生門』を思い出す。

私には物理的な父親はいるけど機能的な父親がいないので、20代後半のある時期に黒澤明の中に私の理想の父親像を見て、ほとんどの黒澤作品を見て、それらの作品に魂を鼓舞されてきた。

『羅生門』は1950年に公開されて、ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞し、黒澤監督が世界に認められるきっかけとなった作品。

芥川龍之介の『藪の中』と『羅生門』が原作となっている。

舞台は平安時代の京の都。

ストーリーは、

「ある日、武士とその妻が盗賊に襲われ武士が殺される。
武士殺害の下手人として、盗賊の多襄丸と武士の妻が連行されてくる。
しかし、盗賊の証言と武士の妻の証言は食い違う。
さらには殺された武士の証言を得るため巫女が呼ばれるが、巫女を通じて武士は二人の話す内容とは全く異なる証言をする。」というもの。ここから引用

 

全ての証言者の証言が全くかみ合わない。

皆がウソをついているのかといえば、たぶんそうではない。

皆が、自分の立場から、自分のフィルターを通して、自分を正当化・理想化した物語を語る。

何が真実かわからない。真実は”藪の中”。

 
要するに、この世に絶対的な真実はない。

全ては主観である。

なんだか絶望的な気分に陥りそうだけど、絶望する必要はない。

 
私にできることは、なるべく客観的な考察をしつつも、最終的には自分の主観で自分にとっての真実を選ぶこと。

主観的真実を選んでいることに責任を持つこと。

自分の選択と行動とその結果に責任を持つこと。

当初選んだものが間違っていると気づいたら、その時は潔くそれを手放すこと、だと思うのであります・・・。

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2015年3月 6日 (金)

普通であることの勇気

最近、私の中で温故知新ブームというか・・・、今までなぜか触手が動かなかったものに一から接してみたいという気持ちが起こっている。

というわけで、これも自分的には”今さら”感が強いアドラー心理学、やっと読んでみました。

アドラーの名前は昔から知ってたけどなぜか興味を持てなかった。

ユングの「深層心理学」の方がカッコいいし。

 
去年、『嫌われる勇気』を読んで初めてアドラーの思想に触れた。

とても共感する部分あり、でも、厳しいな~という思いもあり。

『アドラー心理学入門』は、先日街中にいるときに時間つぶしに急遽本屋に入って、何でもいいからカフェで読める本を、と思って買った。

でも、やっぱり読む気がしなくて・・・。

そして1ヶ月放置してからやっと読んでみた。

読んでみれば、ふむふむ、とてもいいですね~(*^^)v

でも、当時私がこれを読まなかったのにも意味がある、というか、読む必要はなかったのだな、とも思った。

読み終わった感想は、ゲシュタルト・セラピーの精神というかフリッツ・パールズの精神とよく似ている、というもの。

ヴィクトル・フランクルとも共通している(アドラーはフランクルとも交友があったらしい)。

 
「幸せとは何か?」

「どう生きたらよいのか?」

心理学というよりは哲学、精神論という感じ。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

「アドラー心理学は無意識に受け入れられている文化の自明性に対して批判的な立場を貫きますから、アドラー心理学は耳に心地のよい理論ではない」とあります。

だからこそ、私好みという気もする。

で、アドラーは、人生にはあらかじめ意味があるわけではなく、人生に意味を与えるのは自分であり、他人の評価を気にせず、失敗を恐れず、自分で選び、その選択に責任を持て、という。

「人は原因によって後ろから押されて生きているのではなく、目標を設定しそれを追求する」と考える。

だから、過去のトラウマがどうのこうのというのは、自分が変化したくない言いわけだと・・・。

 

とにかく、色々いいこと言ってるのだけど、中でも私に響くのはこれ。

 
「普通であることの勇気」

 
人は優れていることを目標とするということが最初にあって、その結果として劣等感を持つ。

「優れていたいと願うことは必ずしも人間にとって本質的なことではなく、それ自体病的なことである」と考える。

すなわち、ことさらに他の人よりも優れていなければならないと考える優越性の追求を優越コンプレックス、そしてこれの対となるのが劣等コンプレックスであるという。

この本の中では、著者の岸見一郎氏がオスカー・クリステンセンの講演を聴いたときのことが書いてある。(クリステンセンはアドラーの弟子ドライカースの弟子にあたる。)

クリステンセンがドライカース教授について学んでいた時、アドラー心理学と他の心理学との比較考察をせよという課題が出て、クリステンセンは20枚ものレポートを書いた。

それに対してドライカース教授は「こんなにたくさんのレポートを書いたのは<なぜ>かね?」と質問した(ちなみにそのときの課題は2枚書けばよかった。)

クリステンセンが「比較考察に非常に興味を覚えたからです」と答えると、

教授は「いや、それは違う。君はただ僕に自分を印象づけようとしただけだ。しかし、君は今のままで十分いいのだから、こんなことをしなくてもいいのだよ」と言った。

この話を聞いた岸見氏は、その直前に自分がした行動の意味について気がついた。

岸見氏は、この講演会に「通訳をしないか?」と頼まれて参加したが、実際には自分の出番が全然なく居心地の悪い思いをしており、クリステンセンの先の話の直前に、わざわざ英語であることを質問していたのだ。

だから、クリステンセンがこの話をしたのは自分に向けてのことだったと思った、と。

岸見氏は、英語を使って質問をすることで、聴衆に自分のことを印象づけたかったのだと気がついた。

こういうの、私にも大いに思い当たる節がある。

自分が特別な存在でありたいという思い。

自分の行動を多くの人に印象づけたいという思い。

だいたい、こんなブログとかSNSとかで色々書いてる人はみんな自己顕示欲の固まりだ。

(わたし、こんな本読んでるんだよ、スゴイでしょ~?!)

 
私はもっと普通であることの勇気を持ちたいと思う。

(長い年月をかけて、ずいぶん普通であることに慣れてきたと思うけど・・・。
そうするとブログを書く気もなくなっちゃうのだ・・・。
最近また書きたくなってるのはまた自己顕示したいのかな~?)

自分がしている行動の奥に流れてる意図に気づいていることが重要だと思う。

すなわち、これ、自己一致。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

著者の文章も完結でわかりやすい。

むやみに難しい言葉を使う人は、自分が優れていることを証明したいのだと思う・・・。

でも、それで相手に言いたいことがうまく伝わらないって本末転倒だよね・・・。

 
もっと普通でいよう、リラックスして・・・ヽ(´▽`)/

 

 

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

心と体のセラピースペースAlma Mater(アルマ・マーテル)

東京江戸川区の心理カウンセリング/ヒプノセラピー/クラニオセイクラル

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2015年3月 4日 (水)

八王子発のエンカウンターカフェ運動から脱退しました

一時期、エンカウンター・カフェ活動に力を入れていたことを、このブログの多くの読者の方々もご存知だと思いますが、この度正式に八王子本店システム下のエンカウンターカフェ運動から脱退したことをお知らせします。

2年くらいの間に100時間を超えるエンカフェ体験をする中で、とても豊かな時間を体験することができました。

人の心が花開いていく瞬間に立ち会えるのは本当に幸せでした。

ですが、同時に問題点も多く感じるようになりました。

昨年は問題点について話し合いを続けましたが、結局肝心なところで八王子本店長とは全く意思の疎通ができないという現実にぶち当たりました。

私が一番大切にしたい根幹の部分でどうしても納得ができないため、八王子本店のシステムからは完全に離脱致しました。(もっとも、私の決心がつく前に本店から除名されましが・・・(^_^;)

だからといって、ロジャーズの始めたエンカウンター・グループ自体を否定するものではありません。

私は私なりのやり方で、ロジャーズが本当に求めていたものは何だったのか、今後も探求していくつもりですし、準備ができたら私なりのエンカウンター・グループを開催するつもりです。

また、八王子メンバーの中にもとても共感できる大切な仲間もいますので、その人たちが開く場には私も参加させて頂くと思います(彼らに断られなければ)。

詳しい内容についてはここに書くことはできませんが、個別に連絡頂ければ私の考えをお伝えすることはできます。

(ただし、最近仕事が忙しいため、お返事には時間がかかるかもしれませんが・・・)

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

永遠のワンネスの世界から、肉体を持って「分離」を体験しにこの世にやってきた私たち。

どんなに分離を試みても、結局は切り離されることはありません。

だから、安心して、この分離を楽しみたいと思います。

悲しいけど、怒ってるけど、それ自身を楽しみます。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

私にとって真実を見つけることは、泥の川の中から砂金を探すような試みです。

でも、金は絶対にあるのを知っているので、絶望せずに、見つけ続けます。

私の心の奥底にあるセンサーに敏感になりながら・・・

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

最後に、これまでエンカフェを通して出逢って下さった皆様に感謝申し上げます。

ありがとうございました!!!

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