« 2014年4月 | トップページ | 2014年6月 »

2014年5月

2014年5月31日 (土)

薔薇が咲いた

去年の五月のエンカウンターの時に会場に飾るために買った薔薇の小鉢。

その日、ちょうど会場前の公園で開催してた薔薇の品評即売会で買った。

その薔薇が今年も咲いた。
今朝初めて開花した。

あの時のエンカウンターを思い出す。

メンバーの顔を思い出す。

忘れられないエンカウンターだった。

色々課題を感じながら一年やって来た。

ここまで一緒にやって来たメンバー達も成長したよね。

今日は赤城山での合宿エンカウンター。

朝からなんだか神様からの祝福を頂いた気分です。

| | トラックバック (0)

2014年5月27日 (火)

小学校6年生の時の国語の授業で、太宰治の『走れメロス』を一年だか半年だかをかけてじっくり読みこむという授業があった。

作品について一切の教示はなく、グループになってひたすら話し合うという形式で。

その結果、幼い私は「友情って素晴らしい!」「人を信じるって素晴らしい!」「勇気を持つって素晴らしい!!」と思った。

 

中学1年生になった時、その授業の感動をある先生に伝えた。

その先生のことは、私は今でも生涯の師だと思っている。

その先生は言った。

「・・・。太宰治はさぁ、本当は人間を信頼できなかったんだよね。

だからその反動というか、自分の理想みたいなものを書いたんだろうね・・・」
(言葉は正確に覚えてないけど)

それを聞いた私は「が~~~ん!ショック!!!」

それから先生は、「太宰は『人間失格』っていう小説なんかも書いてるんだよ」と教えてくれた。

 

私はすぐにでもそれを読まねばならない、と思った。

中一の私にはいささか難しかったけど、『人間失格』は決定的に私を救ってくれた。

主人公は普通の人が普通に感じる感覚がわからない。

お腹が空くという感覚すら実はわからない。

だから、まともに人と会話が出来ない。

なんとか人とうまくやっていくために、彼は「道化」を演じるということを覚える。

巧みに道化を演じているつもりだったが、あるときそれを、中学の同級生に見破られてしまう。

そのシーンが、私にとって鮮烈だった。

私も演じていたから。

私が演じていたのは「優等生」だったけど。

演じている自分に気がついておらず、だけど、本当の自分と表面的な自分との違和感を無意識のうちに感じていて、本当の自分を知られたら自分はおしまいになってしまうような恐怖感を持っていた。

そして、そういうことを全く意識化できていなかったから苦しかった。

私の胸の内のモヤモヤ、ドロドロが言葉となってそこにあることに驚いた。

そして世界でたった一人、救いようのない悪を抱え、それを必死に隠そうとしていたと思っていた私は、自分以外の人が同じように救いようのない感覚を持っていたことを知り、安堵のため息が出るようだった。

「人間失格」というラベルは、言葉にならない自分の不全感を表すのには格好の言葉だった。

だから、私は人間失格、と思うことで、不完全な自分を結果として受け入れていたように思う。

私が心の病にならなかったのは、ずいぶん早い段階で自分の心の闇を自覚できたせいなのだろうと思う。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

その後、人の心の闇やエゴや不条理を表現した作品が大好きになった。

我が愛するヘッセの『デミアン』でも闇を扱っている。

夏目漱石の『こころ』、カフカの『変身』、カミュの『異邦人』、安部公房、芥川龍之介、ゴヤやムンクの絵、スタンリー・キューブリックの映画、フラメンコ・・・。

だから私の中では人の心に闇があるのがデフォルトだ。

そして、私は『人間失格』で主人公の道化ぶりを見破った同級生のような視線を持って世界を眺めている。

だから、きれいごと言う人のことを信用できない。

私の前で変人ぶりを見せてくれる人ほど好きになるし、私の中にある変人ぶりを見抜いてくれる人を好きになる。

こういう特性が、私がセラピスト&カウンセラーをする上で役立っていると思う。

自分の闇を見るために一人で暗闇の階段を下りて行くのは怖い。

やっぱりそういうときはガイド役が必要。

暗闇の道にもある程度精通しているガイドが。

少しずつ闇に降りて行くと、自分の視力がだんだん闇夜に順応して、ある程度視界が開けてくる。

そうすると、怖いと思っていた闇の世界は予想したほど怖くはないということがわかる。

 

自分の闇を意識化できないとき、闇は暴走し行動化が起こる。

闇を自覚し、それと共にいられるときには行動化は起こらない。

葛藤を内面で自覚し、抱えられるのがオトナの心性。

闇から逃げるとき、強迫性障害などの神経症となって現れたり、身体の病として表現されることもある。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

さすがの私も闇ばかり見ているとそれらにも飽きるので、今は光の世界を見るのが好き。

だけど、光を見るためには闇を見なければ、本当の光は見えないよ。

影のない光は、平面的で薄っぺらいだけ。

| | トラックバック (0)

2014年5月25日 (日)

ショスタコーヴィチ5番、そしてAve Mundi Luminar

感情の波に飲み込まれてしまいそうで自分の中に不協和音を感じた今朝、久しぶりにショスタコーヴィチの交響曲第5番を聞いた。

この曲、すごい曲だと思うけど、あまりに不穏な響きがあるので滅多に聴く気になれない。

でも今朝の自分にはこれがよく響く。

不協和音の中に身を浸す。

線病質な響き…。そして緊張感。

中ほどまで聴いた頃、ふと、これを指揮している西本智実さんの姿が目に浮かんだ。

そして、涙が溢れた。

こんな不協和音を率いている精神力。

100名とかいうオーケストラを束ねているその精神力。

西本さんの指揮する姿は、私には戦場に赴く武士を彷彿させる。
(まさにオスカルやね・・・)

命がけ。

そうだ、私はこの精神力の強さにシビれているのだ、と、西本さんの姿に魅了される理由を再確認した気がした。

そして、ショスタコーヴィチ。

その人のことはよく知らないけど、厳しい時代のソ連を生き抜いた人だ。

時代の音、運命の音を感じる。

作曲者と指揮者、二人の精神の力が伝わってきて、泣けた。

そして、二人だけでなく、厳しい時代を生き抜いてきた無数の人たちの魂の力みたいなものを感じて、やっぱり私は逃げてはいけないのだと、魂が奮い立つものがあった。

交響曲って集合的な魂の表現だな、と思った。

そして私の魂は浄化されて、落ち着いてきた。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

それから次に、「Ave Mundi Luminar(喜ばしき世界の光)」を聴いた。

私のお気入りの一枚で、私の中では朝に聴くのに最適な一枚。

朝、コーヒーを飲みながらこの曲を聴くと、「さあ今日も素敵な一日が始まるよ」、という気分になる。

いつも自宅の安物のCDプレーヤーで聴いてるのだけど、今日はiPadで、重低音の響くイヤホンで聴いた。

音が全然違う。

まるで別の曲のように私の耳に、魂に響いてくる。

そして再び涙。

今度は嗚咽したい感じ。

この曲を聴くと、「ああ、これが私の本質だな~」と思える。

 

神の世界がそこにある。

喜ばしき世界の光。

そう、絶対に世界は良きものなのだ。

世界は祝福されているのだ。

 

それはなぜか確信がある。

 
だけど、この光の世界を知らない人たちがいる。

それを無明という。

無明の世界でもがいている人を思うと悲しくて泣けてくる。

 

どうか、みんなにこの光が届きますようにと祈る。。。

そんな自分をちょっと傲慢なんだろうかと思う自分がいる。

 

まあ、電車の中でイヤホンしながら涙を流してる私は明らかに変な人だね~^_^;

 

とりあえずホ・オポノポノしてみる。

最近結構これが習慣になりつつある気がする・・・。

| | トラックバック (0)

2014年5月15日 (木)

5/31-6/1ホリスティック・エンカウンター合宿in赤城山男性1名再募集!

5月31日(土)~6月1日(日)に群馬県赤城山の山小屋でホリスティック・エンカウンター合宿を開催します。

当初、情報公開する前に定員いっぱいになってしまったのですが、キャンセル出たので改めて募集いたします。

部屋割の関係上、お申込みは男性1名様に限らせて頂きます。

大自然の中での魂の響き合いを経験してみたい方、ぜひご参加下さい。

詳しくはこちらのホームページををご覧下さい

また、昨年の合宿のときの日記はこちら。

| | トラックバック (0)

« 2014年4月 | トップページ | 2014年6月 »