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2013年9月17日 (火)

火を見つめる

一昨日、焚き火を囲んだときのことを思い出すと本当に豊かな気持ちになる。

火のある場所に帰る安心感って、人間が狩猟民族だった太古の時代からの原初的な感覚なのかもしれない。

ところで、火を見つめることについて、昔読んだヘッセの『デーミアン』で主人公が火を見つめる行があったのを思い出し、読み返してみました。ちょっと引用してみます。

あの訪問以来ぼくが感じている、何かしら強くなったような、うれしい気持ち、

自己感情の高まりなどを感じるのは、ひとえに、あのむきだしの火を長いこと

見つめていたおかげだ、と気がついたからである。ああやっていると、妙に気

分がよくなり、心がゆたかになるのだった。

 ぼくがいままでに、ぼくの本来の人生目標に向かう途上で見出した数少ない

経験に、この新しい経験が加わったのである。こういう形象を観察し、自然界

の非合理な、こみいった不思議な形態にわれを忘れていると、ぼくたちの心

は、これらの形象を作りだした自然の意志と一致しているのだという感情が、

ぼくたちのなかに生まれてくる - やがてぼくたちは、こういう形象はぼくたち

自身の気まぐれであり、ぼくたち自身が作ったものだと思いたくなってくる - 

ぼくたちと自然界との間の境界がゆれ動いて消えてゆくのが見える。そしてぼ

くたちの網膜にうつる映像が、はたして外部の印象から出てくるものか、それと

も内部の印象によるものか、どちらともわからなくなってしまうような気分を味

わうようになる。この訓練こそ、自分たちがどれだけ創造主であるのか、世界

のたえざる創造に、ふだんどれだけ参与しているかということを、ぼくたちにい

ちばん手っとりばやく、いちばんかんたんに教えてくれる。いやむしろ、こう言う

ほうがよいかもしれない。つまり、ぼくたちのなかで働いているものと自然の

なかで活動しているものとは、同一の神であって、このふたつを分けて考える

ことはできないのだ、と。だから、たとえこの外部の世界が滅びてしまうとして

も、ぼくたちのうちだれかが、それを再建することができるだろう。というのは、

山や川、樹木や葉、根や花など、自然界の形成したものはすべて、ぼくたちの

なかに原型を持っているし、魂から発しているからだ。この魂の本質は永遠そ

のものであって、ぼくたちにはわからないものだが、愛の力と創造の力として、

たいていの場合、ぼくたちにもそれとなく感じられるものなのだ。

                    ヘルマン・ヘッセ『デーミアン』P151-152

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