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2011年3月30日 (水)

お別れ

3月25日、義父が亡くなった。

葬儀は自宅で、近しい親族のみで家族葬にて執り行った。

義父は生前、自分が亡くなったら絶対に葬儀屋を頼むなと言っていたけれど

さすがに葬儀屋さんには依頼した。

でも戒名は故人が自分で決めており、義父母はある宗教を信仰していて

読経も自分達でするので、かなりシンプルな葬儀だった。

結構ゆっくりとした、いいお別れができたのではないかと思う。

 
約1年の闘病期間があったので、家族の覚悟もできており

遺体が横たわる部屋の隣では普通にテレビを見たり

すき焼き焼いたり、まるでお正月のようなにぎわいだったり。

 
そして、最後のお別れで棺にお花を手向けるときにはみんながさめざめと泣いている。

 

私は葬儀に参列するのは10年以上ぶりのような気がするが

その間に自分の死生観がすごく変わったので

今回は随分と違った心境でときを過ごした。
 
そして刻々と変わる自分の気持ちを

ずっとトラッキングしている別の自分がいた。

 
訃報を受けた時も夫の実家に帰る電車の中でも悲しい気持ちは全然起こらなかった。

それは故人とあまり心の交流がなかったせいだ。

義父はかなり変わった人物で、人を寄せ付けない。

身内の中でただ一人悲しめない自分に引け目を感じた。

 
だけど不思議。

実家まであと数百メールという距離になったとき、急に胸がキューと締め付けられた。

そして遺体と対面すると自然に涙が流れた。

この涙はなんなんだろう?と思う。

感情的な悲しみとは別次元からやってくる自然作用だ。

 
そして、実家のみんなのしめやかな空気に胸がつまる。

 
この涙は、無理に言葉にするなら、故人の80年という人生が今完了したことに対する畏敬と、故人と長年暮らしてきた人たちの悲しみの波動みたいなものに感応している感じ。

でもしばらくすると涙はケロリとおさまる。

この涙を通して、この場にいる人たちとエネルギーが同調したように思う。

 
今時のお葬式や火葬場って、昔みたいな陰湿さがなく、妙に美しい。

以前はそれが死という暗黒を隠ぺいしているみたいで嫌だった。

でも、今は、葬儀とは、あの世へのお誕生会と思っていいんだという気持ちなので、新しい世界への旅立ちには美しいお花に囲まれて美しい施設で灰になるのはいいことだな~と思った。

驚いたのは霊前にお供えしてある花がずいぶんと色とりどりだったことだ。

黄色のユリやピンクのカーネーションや豪華なカトレア。

昔とは随分変わったものだ。

 
義父はかなりの読書家で、義父の部屋は書籍でいっぱい。

義母は、読みたい本があればどんどん持って帰って、と言うので、義父の書棚を探索する。

私には難しすぎる本がほとんどなのだけど、結構今時の本なども読んでいることに驚いた。

私の目に入ってきたのは『あの世の話』(佐藤愛子&江原啓之)や『臨死体験』(立花隆)。

ああ、こんなのを読むってことは、義父は死んだら無になるとは思っていなかったんだろうと思って、ちょっとほっとした。

 
P.S.葬儀の日の朝は計画停電が予定されてたので、当日の朝食はご飯を炊かずパンで済ませることにしていた。

葬儀の霊前を見ると、そこにはよくある山盛りのご飯に箸を立てたのではなくて、パン(ジャガバタ・フランスとチョココロネ)がお供えしてあった。

掟破りのシナダ家らしいなと思って、笑えた。

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