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2010年11月14日 (日)

不識

禅の言葉というのは、ときどき私に勇気や方向性や刺激を与えてくれる。

専門的には解釈があっているのかどうかよくわからないけれど、

自分が生きていく上で役立てばそれでいい。

 
先月、NHKの歴史ヒストリアで上杉謙信のことをやっていて(再放送)、そこで出てきた「不識」という言葉が心に残り、私が新しい仕事を始めることを後押ししてくれた。

 
私はいつもぼんやりとTVを眺めているだけなので、詳しい内容はよく覚えていないのだけど、謙信は自分の信念や理想や正義を持って国を治め、戦を行ってきた。

人から頼まれれば戦をするが自分の欲から戦うことはしなかったそうだ。

ところがあるとき、人への忠義の気持ちから戦をし、良かれと思って行動した戦で大敗し、何千という家来の命を失くすことになってしまった。

それをきっかけに、自分はこれまでいったい何をやってきたのか、今後どのように生きていけばいいのかわからなくなってしまった。

 
ちょうどその頃、ある高名な僧侶に会いにいくと、僧侶は突然

達磨不識を何と理解している?」と謙信に問いかけた。

 
それを聞いて謙信は「はっ!」として、何かを悟ったようなのだ。

 
「達磨不識」とは、中国のお話で、禅の開祖といわれる達磨大師に、武帝がこう尋ねたそうだ。

「自分は今まで寺院を建立したり、供養などもやってきた。
これほど実践してきた自分は、どれほどの徳があるのだろうか?」

そしたら、達磨大師は「徳など無い」といった。

そこで武帝は、

「仏教が教える、最も聖なるものというのはどういうものですか?」と問うと

「聖なるものなどない」と言われてしまう。

 
さらに武帝は

「では、私と話をしているあなたは何者なのですか(仏教の教えを学んできた徳のあるあなたの存在はどんな価値があるのですか)?」

と問うが、

それに対して達磨は

「不識!」(そんなこと知らん)と応えられた。

 

私も何か「はっ!」とするものを感じました。

自分の理想にこだわったり、形にこだわっったり、自分の価値についてあれこれつまらない考えを思いめぐらして堂々巡りをしている自分に気づき、そんなことにこだわらず、目の前にあるものに飛び込んでいけばいい、今ここをあるがままに生きればいい、って思えた。

わたしは何者でもない。

 
固定されたものになってはいけないのだ。

 

そして、本当は、「わたし」すら、無い。

  
 
禅の教えって本当にカラッとよく晴れた空のようで気持ちがいい。

 

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜
東京都江戸川区のクラニオセイクラル/ヒプノセラピー/心理カウンセリング

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