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2010年9月

2010年9月24日 (金)

「菩薩の願い」

『菩薩の願い』(丘山 新 著)を読んだ。

仏教関係の本は難しいものが多いけど、本書はかなり平易な言葉で素人にも(私にも)わかりやすく書かれていたのでなんとか昨日読了。(とは言っても約1カ月もかかった)

そして、私にとっては結構「なぁ~るほど~!」と思える内容だった。

本書では仏教の発祥から大乗仏教が起こった経緯と、大乗仏教のエッセンスが書かれていて、大乗の代表的な経典、「般若経」、「維摩経」、「法華経」、「浄土経典」、「華厳経」、「涅槃経」のおおまかな解説が書かれている。

良いセラピストになるためには仏教を勉強するのが一番という気がしている私だけど、仏教ってあまりに宗派がわかれすぎていて何がなんだかわからない。

どこから手をつけていいのかわからなくて、もっと包括的に勉強する方法はないのかな~と思っていたので、この本はそんな私にはピッタリだった。

私にとって興味深かったことは、紀元前5世紀頃、人間釈迦が悟りを開いた頃の人類の宗教は個人対超越的存在という縦のつながりだったのが、大乗仏教が起こった紀元1世紀というのは人類の意識に「他者とのつながり=横とのつながり」の意識が目覚め始めた、ということだった。

釈迦の悟りは自分のための、自己完結した悟りだった。

それは仏教に限ったことではなく他の宗教にも見られる傾向だという。

大乗仏教の起こりとキリスト教の成立が時を同じくしており、どちらも「他者への目覚め」が起こったということなのだ、と。

 
それともう一つ、かねてからずっと疑問だった人間ブッダと、阿弥陀仏、対日如来、ビルシャナ仏などとの関係。

私はかつて、仏教は人格神を持たない、生きるための哲学だと思っていたので、そういうところが仏教のいいところだと思っていた。

ブッダは人間釈迦が修行の上で悟りを開いた後の名前だから神ではなく先達みたいな人で、自分も修行してそういう境地に行けるように心掛ける。そこがいいと思っていた。

でも、結局仏教にも神様みたいな存在はいるみたいだし、スピリチュアルな世界に接してからは、見えない存在を否定してしまうのはもったいない気がするし、いったいどうなってるんだろう?というのがずっと疑問だった。

大乗仏教で出て来る仏はどうやら人間ブッダだけというわけではないらしい。

釈迦入滅後の数十年は釈迦の愛弟子たちが直に聞いた説法を記録したのだから、原始仏教の方がより純粋な気もしたりした。

それが、何百年も後になって仏がこう言ったとかって新しい考えが出てくるってどういうこと?と思ってた。

ところが、釈迦入滅後何百年も経って大乗仏教を開いた僧侶たちは、瞑想を重ねる中で、精神集中が深まりきった状態(三昧・マサーディ)で仏に会っていた、あるいは仏の声を聞いていたのだ!

その仏は肉体を持たない、永遠の仏だったのだ!

なぁ~んだ、そういうことだったのかぁ~~~!!!

と深く納得。

 

瞑想の中での仏の言葉は深い真実を含んでいるだろうし、同時に瞑想者のフィルターもかかる。

だからいろいろと宗派も別れてしまうわけよね・・・

 

そういう基礎知識を踏まえながら、今後も遅々と仏教の勉強に励みたいと思うのだった。

 

ミーハーな感想文でごめんなさい。

大乗のもっとも大切な「慈悲」「利他行」については今後も沈思黙考したいと思います。

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