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2010年3月19日 (金)

Happy Birthday

今日は母の79回目の誕生日。

約2週間ぶりに病院に母を訪ねた。

2週間前の主治医の話では、もう服薬以外は特に治療すべきこともなく、あとはリハビリをするしかないのだけれど、母の場合認知症が激しいのでほとんどリハビリもできる状態ではないので、もう退院してくださいとのことだった。

そして、その後は自宅で介護するか介護施設へ入れるか、決めて下さいと。

現在は介護施設へ申し込み中だが、医者の話を聞くとなんとなく「希望はない」っていう気分になった。

 
でも、2週間ぶりに会った母の様子は以前よりもだいぶしっかりしていて、介助されながらもトイレで排泄できるし、支えられればなんとか立てるようにもなっていた。

人の生命力ってやっぱりすごいんだなと思った。

1ヶ月前に入院した直後よりも会う度に確実に元気になっているし。

やっぱり医者のネガティブに引きずられちゃダメなんだな~と思った。

まあ、お医者さんとしては切ったり貼ったり、診療報酬の点数を稼げることをできなければダメなんだろうけど・・・。

 
今日はコージーコーナーのプチガトー詰め合わせとバースデー・カードを持っていってささやかなお祝いをした。

 
親不孝者の娘はここ20年くらい母親の誕生日すらお祝いしてあげてなかった。

だって、あまりに無趣味で、いったい何をあげたら喜ぶのかさっぱりわからなかったし、離れて暮らしてるとますますわからなくなってしまうのだ(言い訳)。

せめてもの親孝行は、母の日にお花を贈ることだけだった。

 
病気になったお陰でやっと親身になってお祝いしてあげようと思えた。

カードに「生んでくれてありがとう」と書いた。

照れながら・・・

 
今日のリハビリの言語療法の部屋で、みんなに「ハッピーバースデー」を歌ってもらった。

たぶん生まれてはじめてじゃないだろうか、ハッピーバースデー!と歌ってもらうなんて。。。

 
本人はどんなにお祝いしてもらっても、何度お祝いしてもらっても、すぐに忘れちゃうんだけど、でも、きっとこうやってみんなから愛がもらえることを繰り返し体験するうちに、阿頼耶識レベルに何か良きものが浸透していくのではないかと思う。

 

今日は母のリハビリをずっと見せてもらった。

ときどき私がいることに気づくと嬉しがって泣き出す。

または、「こんな体になってしまって・・・」と言って泣くこともある。

そのときに理学療法士さんがティッシュを差し出して寄り添ってくれている。

 
それを見ている私までもらい泣きをする。

 
そして、ふと思った。

 
私は自分の癒しについてずいぶん取り組んだけれど、本当に深いレベルで癒されるには私個人だけでは限界がある。

私のトラウマの多くは有り難いことに母親からもらっている。

私のトラウマは母のトラウマでもある。

だから、私が癒されるためには母のトラウマが癒される必要があるのだ。

 
今こうやって、母が自分の感情を露にして泣いたときにそっと寄り添ってくれる人がいるということがどんなにか母の癒しになっていることか。

ずっと一人で悲しんできたのだ。

昔、母が泣いたとき、隣には誰もいなかったのだ。

娘の私も十分な力にはなれなかった。

 
今、病院のスタッフの方々に親切にしてもらえることは本当にありがたい。

義姉も毎日のように病院に通ってくれて、みんなの優しさを一心に受けている母。

 
ほとんど赤ん坊のようになって歩く練習をしている母の姿は、まるで「生まれ直し」をしているようでもある。

今生はそろそろ終末に近づいているわけだけれども、今のこの総決算の成果はきっと来世に持ち越すことができるのだろうな、などとも思っている。

今がとっても大切なときなんだな。。。

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