家族の絆
母の入院に伴い、実家に泊まった。
実家に泊まったのはたぶん20年ぶりくらいだ。
長いこと実家には近寄れなかった。
ましてや泊まることだけはなんとかずっと避けてきた。
だって、怖いんだもの、あの家。。。
なんというか、廃墟のようなボロ屋で、ろくに掃除もしないからものすごく汚いし。
それでも「この家は古い材木を使ってる良い家だ!」と妄想的に信じている母と、この状況をなんとか変えようという気概もない家族の人たち。
私にとってはまるで安部公房の小説「砂の女」に出てくる砂漠の中の砂地獄のようなところだった。
来る日も来る日も積もってくる砂をかき出すことだけに精を出し、そこから出て行こうなんて全く思わない人たち。
私はその砂地獄から一人脱出して自分の人生を歩んだ。
できることなら実家に関する記憶そのものがなくなってしまえばいいとさえ思っていた。
でも、その実家についに泊まることになったとは・・・・・・、感慨深い。
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実家の人たち(母と兄夫婦と姪っ子)とは年に一度は会うけれど、その際にも私は実家には寄らず、車でドライブとかしてなんとか家の外でやり過ごしていた。
そして、父は家族の疎まれ者なので外出には同行しないから、結果として父にも長いこと会っていなかった。
そんな私が、今年のお正月に実家に足を踏み入れ、父に再会する決心をしたと思ったら、神様はさっそく次の課題を与えてくださったわけで。。。
やれやれです・・・
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我が家は暴力的な父(とは言っても腕力はあまり使わない)に苦しめられる悲劇の主人公の母を中心に、家族が依存という形で母に取り込まれてしまっているような構図があった。
だから、母が家の中心を外れたことでパワーバランスが変わりつつある。
これまで、兄ともほとんど会話がなかった。
昔から共通言語はなかったけど、せっかくお正月に会っても母がいるときは母との時間を大切にするのでやっぱり兄とはほとんど話をしなかった。
それがこういう自体になってはじめて母抜きで会うことになり、兄妹という絆を取り戻す時間を持つこととなった。
兄はすっかり元型的な母性の負のエネルギーに飲み込まれ、精神的に自立することを失敗してしまったような人生を送っていたが、この段になって少しは、これからは自分がしっかりしなければいけないと思い始めたようにうかがえる。
よかった、よかった。
世間的な基準で見るとかなりダメダメな家族だけど、最近はずいぶんと家族内に調和のエネルギーが感じられてうれしく思う。
みんな、純粋で、優しい、いい人たちだ。。。
そして、私もその一員なのだ。。。
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