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2010年2月25日 (木)

「食堂かたつむり」

映画「食堂かたつむり」を観た。

すごく面白かった。

ちょっと似たイメージの映画で「かもめ食堂」というのがあるけど、私はこっち、「かたつむり」の方が断然好きだなぁ。。。

可愛いタイトルでメルヘンチックな描写の中に、とんでもなく深いテーマが語られていて驚いた。

切なく、温かく、深く、力強かった。

以下、ネタばれを含むのでこれから映画を観る方は読まない方がいいです。

☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°

ストーリーは、私生児として生まれ、母とはうまく気持ちが通わない24歳の娘・倫子が食堂を営む話。

しかも彼女は最近起こった失恋と裏切りのショックから声を発することができなくなっている。

そんな彼女の料理は、瞑想のようでもあり、祈りのようでもある。

そして、倫子が作る料理は人々を幸せにし、彼女の料理を食べると願いごとが叶うと評判になる。

中には抑うつ的な状態の人が突然生き生きと生気を取り戻していく。

 
ところで、母はペットとしてブタを飼っていて、「エルメス」と呼んで溺愛している。

 
お話の後半で、母は癌のため余命いくばくもないことが分かり、同時に母は昔の恋人と再会して結婚式を挙げ、つかの間の幸せな時間を送れることになる。

そこからが、このお話のすごいところなのだけど、母は、結婚式の宴席でペットのエルメスを食べちゃおうと言うのだ。

映画全体がとてもメルヘンチックに進んでいるのに、まさかここであんなに可愛がっていたエルメスを食べてしまうなんて、何かの冗談?と思ったけど、エルメスはある日トラックに乗せられて行ってしまう。

そして、帰ってきたときには肉の固まりになっていた。。。

 
倫子は心をこめてエルメスを、ブタ一頭を、まるまる料理する。

そして、結婚式の宴席でエルメスに感謝しながら、皆で「おいしい」と言ってエルメスを食す。

 

それから数ヵ月後、がらんとした室内を映すことで母がこの世からいなくなったことが表現される。

母の闘病などについては一切描写がない。

ただ、数ヵ月後に、結婚した男性と、近所のいつもお世話になっていた男性にエルメスで作った生ハムを倫子が手渡すシーンが描かれる。

母からそうするように頼まれた、と。

 
おバカな私はこの段になってやっとエルメスの重要さについて気がついた。

エルメスは母自身の一部だったのだ。母の血肉だった。

その血肉を、愛する人たちに食べてほしかったのだ。。。

食べてもらうことで、つながる。ひとつになる。。。

 
そして、月日が過ぎて徐々に立ち直りかけた倫子は、しばらく休業していた食堂を再開しようと食堂に向かう。

そこで、突然、ハトが食堂の店先に倒れて死んでいるのを発見する。

 
しばらく考え込んでいた倫子は、そのハトを料理して、食べる。。。

 
静かに味わい、思わずこぼれる「おいしい・・・」という言葉。

そのとき、倫子は声を取り戻したのだ。

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この時代、ペットのブタを食べたり、ハトを食べたりすることが描かれること自体が画期的なことだと思う。

「食べる」という人間にとって根源的な行為。

生きるとは他のいのちをいただくこと。

動物を食べることが残酷なこととしてではなく、ありがたいいのちをいただくこととして描かれ、それによって文字通り私たちは生気を取り戻し、生かされているのだということを思い出すことができる。

最近では食肉加工の現場を目にすることもなく、いのちをいただくことへの敬虔さについて思いをはせることもなかなかない。

シュタイナー教育で有名な鳥山敏子さんは、子供たちにいのちの大切さを教えるために、「ニワトリを殺して食べる」という授業をしたそうだが、この映画を観て、それを思い出した。

 
私自身は、肉類はあまり好きじゃないし、軟弱者なのでなかなかそういう生々しい体験に触れる勇気もないのだけれど、本当はとても必要なことなのだよな~と思うのだ。

安易なベジタリアン思想よりも、がっつり力強く深い生命力についてとても共感した映画だった。

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ああ、そういえば最近、なぜか、「友達の遺体の肉を食べる」という夢を見た。

この映画とシンクロしてる。

これって、ミンデル的に言えば、かなり重要なドリーミングなのかもしれない。。。

 

 

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