« 2010年1月 | トップページ | 2010年3月 »

2010年2月

2010年2月26日 (金)

真央ちゃん、よかった。

フィギュア女子フリー演技をTV観戦。

真央ちゃん、2回ミスをしてしまって金メダルは逃したけど、観ていて感動した。

真央ちゃんのイメージとはおよそかけ離れたラフマニノフの重々しい曲。

ミスした後のスパイラルのときの鬼気迫る表情がすごく印象的だった。

苦悶の表情にも見えた。

でも、そのとき、真央ちゃんの根源的な強さを見たような気がした。

 
これまで真央ちゃんはエリートすぎてあまり感情移入できなかったけど、あの苦しみを表すような表情を見たとき、私も一緒に苦しんで、ああ、これで真央ちゃんはひとまわり大きくなったのだなぁと思った。

ずっしり重みのあるスケーティングだった。フラメンコみたいに。

 
・・・あれっ? 単に私の好みの問題かな??

それにしても、鈴木明子選手も摂食障害を乗り越えて、美姫ちゃんも前回のオリンピックでの挫折を乗り越えてそれぞれ入賞したし、高橋大輔クンも大怪我を乗り越えての銅メダル。

やっぱり人は挫折を乗り越えて大きくなるのだよね~。

挫折は宝だ。。。

 
★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

 
東京都江戸川区のクラニオセイクラル/ヒプノセラピー/
心理カウンセリング/フラワーエッセンス
 
★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

|

2010年2月25日 (木)

「食堂かたつむり」

映画「食堂かたつむり」を観た。

すごく面白かった。

ちょっと似たイメージの映画で「かもめ食堂」というのがあるけど、私はこっち、「かたつむり」の方が断然好きだなぁ。。。

可愛いタイトルでメルヘンチックな描写の中に、とんでもなく深いテーマが語られていて驚いた。

切なく、温かく、深く、力強かった。

以下、ネタばれを含むのでこれから映画を観る方は読まない方がいいです。

☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°

ストーリーは、私生児として生まれ、母とはうまく気持ちが通わない24歳の娘・倫子が食堂を営む話。

しかも彼女は最近起こった失恋と裏切りのショックから声を発することができなくなっている。

そんな彼女の料理は、瞑想のようでもあり、祈りのようでもある。

そして、倫子が作る料理は人々を幸せにし、彼女の料理を食べると願いごとが叶うと評判になる。

中には抑うつ的な状態の人が突然生き生きと生気を取り戻していく。

 
ところで、母はペットとしてブタを飼っていて、「エルメス」と呼んで溺愛している。

 
お話の後半で、母は癌のため余命いくばくもないことが分かり、同時に母は昔の恋人と再会して結婚式を挙げ、つかの間の幸せな時間を送れることになる。

そこからが、このお話のすごいところなのだけど、母は、結婚式の宴席でペットのエルメスを食べちゃおうと言うのだ。

映画全体がとてもメルヘンチックに進んでいるのに、まさかここであんなに可愛がっていたエルメスを食べてしまうなんて、何かの冗談?と思ったけど、エルメスはある日トラックに乗せられて行ってしまう。

そして、帰ってきたときには肉の固まりになっていた。。。

 
倫子は心をこめてエルメスを、ブタ一頭を、まるまる料理する。

そして、結婚式の宴席でエルメスに感謝しながら、皆で「おいしい」と言ってエルメスを食す。

 

それから数ヵ月後、がらんとした室内を映すことで母がこの世からいなくなったことが表現される。

母の闘病などについては一切描写がない。

ただ、数ヵ月後に、結婚した男性と、近所のいつもお世話になっていた男性にエルメスで作った生ハムを倫子が手渡すシーンが描かれる。

母からそうするように頼まれた、と。

 
おバカな私はこの段になってやっとエルメスの重要さについて気がついた。

エルメスは母自身の一部だったのだ。母の血肉だった。

その血肉を、愛する人たちに食べてほしかったのだ。。。

食べてもらうことで、つながる。ひとつになる。。。

 
そして、月日が過ぎて徐々に立ち直りかけた倫子は、しばらく休業していた食堂を再開しようと食堂に向かう。

そこで、突然、ハトが食堂の店先に倒れて死んでいるのを発見する。

 
しばらく考え込んでいた倫子は、そのハトを料理して、食べる。。。

 
静かに味わい、思わずこぼれる「おいしい・・・」という言葉。

そのとき、倫子は声を取り戻したのだ。

☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°

 
この時代、ペットのブタを食べたり、ハトを食べたりすることが描かれること自体が画期的なことだと思う。

「食べる」という人間にとって根源的な行為。

生きるとは他のいのちをいただくこと。

動物を食べることが残酷なこととしてではなく、ありがたいいのちをいただくこととして描かれ、それによって文字通り私たちは生気を取り戻し、生かされているのだということを思い出すことができる。

最近では食肉加工の現場を目にすることもなく、いのちをいただくことへの敬虔さについて思いをはせることもなかなかない。

シュタイナー教育で有名な鳥山敏子さんは、子供たちにいのちの大切さを教えるために、「ニワトリを殺して食べる」という授業をしたそうだが、この映画を観て、それを思い出した。

 
私自身は、肉類はあまり好きじゃないし、軟弱者なのでなかなかそういう生々しい体験に触れる勇気もないのだけれど、本当はとても必要なことなのだよな~と思うのだ。

安易なベジタリアン思想よりも、がっつり力強く深い生命力についてとても共感した映画だった。

☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°

ああ、そういえば最近、なぜか、「友達の遺体の肉を食べる」という夢を見た。

この映画とシンクロしてる。

これって、ミンデル的に言えば、かなり重要なドリーミングなのかもしれない。。。

 

 

|

2010年2月24日 (水)

「昏睡状態の人と対話する」

アーノルド・ミンデルの『昏睡状態の人と対話する』を再読する。

ミンデルはユング派の心理療法を発展させてプロセス指向心理学というのを創設した人だが、彼の究極の心理療法の形が、昏睡状態の人を相手にワークする「コーマ・ワーク」だ。

2002年に出版されたときにこの本を読んですごいと思ったけど、今の自分にとっては具体的に役に立つと思って読み返した。

コーマ・ワークでは文字通り昏睡状態の人や植物状態の人とコミュニケートできるのだ。

昏睡状態での言葉にならないうめき声にも、ペースを合わせて「一緒にいるよ」ということをわからせると段々言葉に反応するようになる。

全く体が動かない人でも、まぶたや口元のかすかな震えなどを観察することで意思疎通ができるようになる。

そして、昏睡状態というのはまさにその人の人生最大の魂の完成のチャンスなのだということを多くの人に知ってほしいと思う。

 
その人の人生最後のテーマは千差万別だ。

たとえば本書の中で紹介されているジョンという男性のケース。

ミンデルが、ジョンの昏睡状態のうめき声とペースを合わせていると、うめき声が段々言葉になってきて、彼がバハマへ旅立つ船に乗ろうかどうしようか迷っている夢を見ていることがわかった。

ミンデルがその船を操縦しているのはだれなのか見てほしいと頼むと、天使が操縦していると答える。

会話を続けると、ジョンはこれまでずっと働きづめでバケーションを取ったことなんてないという。

そこでミンデルがちょっと旅行することを考えてみたらどうかと勧めてみる。つまらなかったら帰ってくればいいんだし、と。今はなんでも自分で決めることができるんだよ、と。

ジョンは夢(?)の中でバハマにバケーションに行くことを決めた。

その後、ジョンは静かになり、30分後に亡くなった。

☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°

 
別の、ピーターという知的な男性は、何度もセッションを重ねるうちに、自分のスピリットを解き放ってもっと自由になり素直に愛を表現するために、昏睡状態から突然目覚めてミンデルたちと大きな声で歌ったり、家族や友人たちと愛の言葉を交わしたり、抱擁を交わしたりしたあと、至福の内に亡くなった。

自分自身を完成させること、それは一般に考えられるよりも限りなく深い意味がある。

☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°

母にはまだ残された時間はたっぷりある。

母に対して正式な「心理療法」をするこは無理だけど、母との関りの中で少しでも母の魂の完成、というか変容というか、そういうことの一助になれたらいいな~と思っている。

そして、他の多くの人の「自分自身への道」のお手伝いをすることが私の目標であり願いだ。

 

 

|

2010年2月23日 (火)

1週間ぶりに

一週間ぶりに母に会いに行った。

母は私の顔を見るなり泣き出した。

「東京からわざわざ来てくれたんかい・・・」と言って。

 
これまでは年に1度しか顔を見せなかった親不幸な娘だった。

それが、週に1回会いに来るってすごいことだ。

母の病気は私を呼び寄せるための計らいなのかもしれない、と思う。

誰の計らい?

それは、家族の魂を束ねる存在・・・、かな??

 
泣いたわりには、自分の視界から消えると、私がいることなんて忘れてしまう。

そこで、「ここにいるよ」と顔を見せると、また泣いた。

 
感情が豊かになるのはいいことだ。

そして、理性のタガが緩む分、感情表現もストレートになる。

 
認知症になると被害妄想が出たり疑い深くなったりする人が多いらしいけど

母の場合そういう傾向は今のところないのでホッとする。

 
母の人生の期限も近づいてきた。

これから残りの時間で、少しでも自己実現してほしいなと思う。

世間一般で言われるような自己実現ではなく、魂としての自己実現だ。

 
母は何をしようとしてこの世に生まれてきたのかな・・・

 
ゆる~く、母の魂のファシリテートについて想う。。。

 

|

2010年2月20日 (土)

「幸せだなぁ~!」

私の母は悲劇の主人公だ。

人生へのグチと将来への不安で頭がいっぱい。

心配するのが趣味。

 
そんな母に対して、私の近年の願いは、ほんの少しでもいいから「幸せだ」と感じる瞬間を増やしてほしいということだった。

 
そんな母が、今年のお正月、家族でカラオケに行ったときに

あ~、幸せだな~~!」と言った。

しかも、2度も繰り返して。

 
みんなでカラオケに行っても母は歌を歌わない。

自分は歌も歌えない、歌が歌える人はいいな~と言う。

でも、耳では結構メロディーを覚えていて、他の人と一緒に口ずさんでいる。

そして、家族が一緒に居て、それぞれが自然体で自分自身を楽しんでいる姿を見て

心から湧いて出た「幸せだな~」という言葉。。。

この言葉を聞けて、私の神への願いが聞き届けられたような気がした。

そして、これだけで、母の人生は報われたような気がした。

 

それから1ヶ月後、半身麻痺になってしまったわけだ。

母は、

「ず~っと働いてきたのになんでこんな体になっちゃったんかな~?」

「だれにも意地悪しなかったのにどうしてこんなことになっちゃんだ~?」

と嘆きつつも、

「○○(長男)や△△(兄嫁)が体を支えてくれるんだよ、ありがてぇな~」と言い、

「みんな優しくしてくれて、幸せだな~」と言う。

 

ボケボケな母が赤ん坊みたいな顔をして「幸せだな~」というとき

私は心の底から感動する。

 

これから先、あと何回くらい母から「幸せだな~」という言葉を聞くことができるか、

それが楽しみだ。

 

|

2010年2月19日 (金)

クラニオという宝物

4年前にエサレンのトレーニングを受けた後、上京した母にエサレン・ボディワークをしてあげる機会が持てた。

そのときに母は「あ~気持ちいい!」と言って、ものすごく喜んでくれた。

そして「何十年も治らなかった首筋の痛みが取れた!」とも言ってくれた(思い込みの激しい人だ)。

そのときに、私がエサレンを学んだのはこのためだったのかもしれないと思ってとてもうれしかった。

 
だけど、もう体力的にも東京まで来るのは無理だし、エサレンをしてあげることもないな~と思っていた。

 
今回、母入院の知らせを受けて、私にはまだやってあげられることがあった。

クラニオだ!!!

これなら、何の道具も要らないし、病院のベッドで十分できる。

ああ、なんて素晴らしいことを学んできたのだろう、私は!

 
それに、自然治癒力を高めるクラニオはどんな不調にも絶対に役に立つはず。

たとえ言葉が話せなくなっても、意識がなくなっても、第一次呼吸を通して会話ができるはずだ。

☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°

 
去年、クラニオ・バイオのあるクラスメートのお父様が亡くなった話を聞いた。

お父様の体に触れていると、これまでに感じたこともないような大きく力強い第一次呼吸を感じて、その後、お父様は息をしなくなったという。

どうやらそのときに旅立っていったらしい。

 
以前、オステオパシーの先生からも「本当の健康とはとても奥深いもので、たとえば人は死ぬときにもエネルギーがいるんです」と聞いていたので、ああ、このことなんだな~と思った。

 
先日のクラニオ・バイオのスーパービジョンのときにもご家族にクラニオをしながら看取った話や、旅立たれた後のご家族の体にクラニオ的に触れてみた話などを聞いて、クラニオの限りない可能性にわくわくしたものだ。

 
☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°

 
先日病院に行って、なんとかクラニオをしてあげたいと思った。

でも、入れ替わり立ち代り人が出入りする病室ではなかなか本格的なクラニオはできない。

でも、隙あらば母の体に触れて、母の体内・外の生命活動に耳を傾ける。

結構いろんな生命活動を感じることができる。

 
意識はボンヤリしていて、手足も動かなくても、ちゃんとヘルスは働いている。

 
その認識があるだけでも、不必要に悲観的にならなくなる。

 
ただ、家族にクラニオをやる場合は、つい「なんとか良くなってほしい」とか色々と邪念が入りやすいので、その辺を気をつけて、ニュートラルなとらわれのない心で触れることが大切だ。

また来週病院へ行って母にクラニオをするのが楽しみだ。

|

2010年2月18日 (木)

家族の絆

母の入院に伴い、実家に泊まった。

実家に泊まったのはたぶん20年ぶりくらいだ。

 
長いこと実家には近寄れなかった。

ましてや泊まることだけはなんとかずっと避けてきた。

 
だって、怖いんだもの、あの家。。。

なんというか、廃墟のようなボロ屋で、ろくに掃除もしないからものすごく汚いし。

それでも「この家は古い材木を使ってる良い家だ!」と妄想的に信じている母と、この状況をなんとか変えようという気概もない家族の人たち。

私にとってはまるで安部公房の小説「砂の女」に出てくる砂漠の中の砂地獄のようなところだった。

来る日も来る日も積もってくる砂をかき出すことだけに精を出し、そこから出て行こうなんて全く思わない人たち。

 

私はその砂地獄から一人脱出して自分の人生を歩んだ。

 
できることなら実家に関する記憶そのものがなくなってしまえばいいとさえ思っていた。

 
でも、その実家についに泊まることになったとは・・・・・・、感慨深い。

 
☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°

実家の人たち(母と兄夫婦と姪っ子)とは年に一度は会うけれど、その際にも私は実家には寄らず、車でドライブとかしてなんとか家の外でやり過ごしていた。

そして、父は家族の疎まれ者なので外出には同行しないから、結果として父にも長いこと会っていなかった。

そんな私が、今年のお正月に実家に足を踏み入れ、父に再会する決心をしたと思ったら、神様はさっそく次の課題を与えてくださったわけで。。。

やれやれです・・・

☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°

我が家は暴力的な父(とは言っても腕力はあまり使わない)に苦しめられる悲劇の主人公の母を中心に、家族が依存という形で母に取り込まれてしまっているような構図があった。

だから、母が家の中心を外れたことでパワーバランスが変わりつつある。

これまで、兄ともほとんど会話がなかった。

昔から共通言語はなかったけど、せっかくお正月に会っても母がいるときは母との時間を大切にするのでやっぱり兄とはほとんど話をしなかった。

それがこういう自体になってはじめて母抜きで会うことになり、兄妹という絆を取り戻す時間を持つこととなった。

兄はすっかり元型的な母性の負のエネルギーに飲み込まれ、精神的に自立することを失敗してしまったような人生を送っていたが、この段になって少しは、これからは自分がしっかりしなければいけないと思い始めたようにうかがえる。

よかった、よかった。

 
世間的な基準で見るとかなりダメダメな家族だけど、最近はずいぶんと家族内に調和のエネルギーが感じられてうれしく思う。

みんな、純粋で、優しい、いい人たちだ。。。

 
そして、私もその一員なのだ。。。

|

2010年2月17日 (水)

母が入院した

先週末、母が脳梗塞のため入院した。

意識を失ったりしたわけではないけれど、左半身が思うように動かない。

 
一昨日から昨日にかけて母に会いに行った。

 
ボケが一気に進んでいた。

母のボケ症状は3年くらい前から始まり年々進行しているのを感じていたが、今年のお正月に会ったときに比べて相当ひどい。

意識がちょっと朦朧としているので、もしかしたら脳梗塞のための急性的な症状なのかもしれないけど、かなりやばい感じ。

ところで、今どきはボケなんて言わずに認知症っていうのだろうけど、別に病名つけなくとも、加齢とともに起こる自然なことって気がするので、私は「ボケ」でいいと思っている。

 
自分の名前はわかる。生年月日もよく覚えている。

でも、今が何月かわからないし、自分がどこにいるのかも、わかったりわからなくなったり。

年齢を尋ねると、調子のいいときには「78歳」と答えるけど、他のときには「五十・・・・いくつだっけ?」とか「四十・・・・・・七?」とか言う。

私に向かって「おまえはまだ○○○に勤めてるんかい?」と訊く。

○○○は私が大学を出てはじめて就職した会社。

そこには2年半しか勤めてなかったし、その後製薬会社に16年も勤めていたのだけど、後者の舌をかみそうなカタカナの社名なんてすっかり記憶の彼方に飛んで消えている。

ましてや、今私は会社を辞めて自宅で仕事してることなんか全然わかってない。

だから「あ~、わざわざ会社を休んで来てくれたんかい」と何度でも言う。

 
もう、一瞬、一瞬、湧いて出る意識とともにいて、時間軸とかはほとんど関係なくなっている。

私のことは認識できるけど、自分の視界から見えなくなると私が来ていることを忘れてしまう。

2日続けて病院に行ったけど、前日も私が来たことなんか認識しようもない。

 
さて、こんな母に接している自分自身を眺めるにつけ、私がこの10年間に学んだ様々な心理療法やボディワーク、そして死生観などに対する認識は、すべてが自分のためだったんだとひしひしと感じる。

たぶん、以前の私だったらこんな風に母と接しられなかった。

 
何よりも素直に母を愛おしいと思い、愛情を表現できるようになったことは私にとってはとても大きな変化なのだ。

そして、何度も繰り返される同じ言葉にそのまま寄り添ったり、体に触れたりすること。

この10年間に学んだことを役立たせている。

 
今年、私のパーソナル・イヤーの数字は「9」。

それはこういういうことかぁ・・・と、密かに思う。

 

 

|

2010年2月15日 (月)

こんな寒い日のお客様

寒い日が続きますね。

今朝、ベランダの植木たちに水やりをしていたらシクラメンの葉っぱの間に茶色い物体を発見。

枯葉かしらと思ってよく見るとツチイナゴ(たぶん)でした!

P2150135

去年も道端でツチイナゴに会ったな~と思って、ブログにも書いてたので確認したら、去年の2月16日でした。

まさか同じ子??とも思ったけど、イナゴの寿命は長くても1年らしいので同じ子ではないらしい。

でも、もしかしたら血縁かもね。

最初、気がつかなくてちょっと体に水をかけてしまいました。

ごめんね、風邪引かないでね。

そして、ゆっくりしていってねheart01

|

2010年2月14日 (日)

万年初心者

今日、クラニオ・バイオのスーパービジョンに参加した。

師匠の森川さんがお亡くなりになった後、森川さんの師匠のバードレイナ女史が、森川さんの下でクラニオ勉強中だった生徒たちに対して、もしこの先勉強を続けたいのならば途中から自分のクラスに編入することを認めて下さったのだ。

なんと懐が深いというか、お優しいというか・・・。

で、私のレベルで継続するとしても次のセミナーまでは2年くらい間が空いてしまうため、このまま編入することについては私の場合今のところ保留・・・なのだけど、スーパービジョンのご案内を頂き、あつかましくも参加させて頂いた。

で、私が参加したのは、自分が履修したレベルよりも低いレベルのものだったのだけど、すごく濃い講義内容でとても良い復習になったし、日頃疑問に思ってたことなども質問できて、かなりスッキリして、参加してよかったな~と心から思った。

そして、何よりも、場が温かくて深かった。

 
スーパービジョンはバードレイナではなくて日本人のアシスタントの方が担当される。

みなさん私にとっては初対面で、よそ者の私がどんな顔して出席したらいいのかな~なんてちょっとビビッていたけれど、みなさんに温かく迎えてもらえてうれしかった。

 
最初の自己紹介で、自分とクラニオとの関係について話されるときに、みなさん例外なく自らの人生の深い体験と結びついたお話をされるのでぐっと胸に来るものがあった。

あ~、クラニオって、ただの施術じゃないんだよね、ってことを確認できて、正しい場にいるなぁという気持ちになった。

そして、ここでは深い話をして良い場所なんだと自分の中で許可が出て、自分の話をするときには思わず泣いてしまった・・・(ま、泣き女だから、わたし・・・)。

☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°

それにしても、いつまでたっても初心者の域を出られない。

同じ辺り、富士山の5~6合目付近をうろうろ、行ったり来たり・・・。

でも、こうやっているうちに、結構幅や深さが出るに違いない、と自分を信じよう。

 
実際、いろんな人の指導を受けると、ある人のいうことが絶対じゃないということがわかる。

いろんな角度から検討して、自分にしっくりと来る感じを探せばいい。

☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・° 

ところで、トムのバイオとバードレイナのバイオ、どっちがいいんだろ???と疑問噴出。

 
トムは、「同じ名前を使った全く別のもの」とまでおっしゃる。

そこまで違うか???????

 
う~~~ん、確かに違うのかもしれない・・・・

トムのは、フェーズ4辺りから、かなりぶっ飛んだ内容になっていくみたいだし、家族の正中線とか、遠隔治療とか、出てくるらしいし、ダイナミック・スティルネスの奥にあるヘルスについてもかなり具体的なことを教えるっぽい。(これは私がトムのクラスを全部受けた方から聞いた耳寄り情報なので、その真偽については責任持てませんので、自己責任で読んでください。)

一方バードレイナ(というかフランクリン・シルズ)系は、なんとなく、バイオとは言ってもメカに近いような印象も受ける(これも私のまったく勝手な印象なので、興味のある方はご自分で確認してくださいね)。

 
トムの講義は本当に内容が濃くてものすごくスピリチュアルで、聞いていてワクワクしてしまうのだけど、実技の練習になると正直、「これでできるようになるの?」って思う。

かなりほったらかし。「質問があったら呼びなさい」ってなもんで、みんな勝手にやってる。

正直なところ、フェーズ1を一緒に学んだ人と交換セッションしたくない。

侵入されそうで怖い。

それに比べてバードレイナのところの実技指導のきめ細かさはやはりすごい。

セミナーとセミナーの間の宿題やスーパービジョンなども充実してるし、やっぱりこっちの方が学びやすいことは確かだ。

 
結論。

バードレイナのコースを最後まで受けてから、トムのバイオを受けるのが一番いいかも。

ただ、そのためには莫大な資金が要るのだよ・・・。

 
どうか神様、私に勉強のための資金をご提供下さいませm(__)m

|

2010年2月 8日 (月)

天職

ハコミのスーパービジョンを受け、色々と指導をしてもらって、「そっか~、な~るほど!」などとわかった気になってはみても、実際にセッションをやってみるとそう簡単に言われたとおりにできるものでもない。

セッションしながら「あ~、全然うまくできてないな~」などと密かに思ったりしている。

だがしかし、私の技術の未熟さとは関係なく、クライアントさんの自己洞察が深まったり成長したりしてる瞬間を目撃すると、「人ってすごいなぁ~~~」と感動してしまう。

人の成長を目の当たりにできること、その人らしさを取り戻していくプロセスに一緒にいさせてもらえること、これってこの上なくうれしい。

なんというか、生々しくて・・・

セッション中に私のほうが勝手に目がウルウルしてきたりする。

セラピーがうまく行くかどうかの要因の約40%はクライアントさんのモチベーションにあるという。

だから、私はクライアントさんを信じればいい。

 
実はセラピーの予約をした時点から癒しのプロセスは始まっている。

そして、セッション中だけでなく、それよりもセッションと次のセッションとの間の期間の方がより重要だったりする。

そして、最後には「セラピーなんてなんの効果もなかったわ。私は自分の力でよくなった」って思ってセラピーを終了したとしても、それでよいのだ。(というのは、河合隼雄さんの本に書いてあった。カウンセラーとはそういうものです、と。)

 
だけど・・・か、だから・・・か、ちょっと大袈裟だけど、セラピストとは私にとって天職だと思ってしまう。

大袈裟というよりはずーずーしいけど・・・

(「セラピスト」とは正確には「治療家」を意味するので、実際は「ファシリテーター(促進する人、進行役、世話人)」とかいう言葉の方が適当なのだけど、そこはわかりやすく馴染みやすい言葉ということで「セラピスト」という言葉を使っているだけだけど。)

 

まだまだ全然未熟で、十分に力になれないことも多いけれど

セッションは何よりもとにかく楽しい。

この、「楽しい」という感覚が一番重要なのだと思っている。

 
今の私にとって一番エキサイティングなのはセッションをしているときなので、ブログにその内容を書けないのはとっても残念だ。。。

|

2010年2月 6日 (土)

今年の目標!

昨日、久しぶりにハコミセラピーの個人スーパービジョンを受けた。

そこでのトレーナーからの指摘を基に、私の今年の目標を決めた。

 
今年の目標は

  軽さ

  外向き

  大笑い

で行きます(^^)v 

 
☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°

 
セラピーの場ではセラピストが重い錨の役目を果たすことでその場がぐっ~と締まるというか、深まると思っていて、私はこのところグラウンディングとかセンタリングとか静けさとか、そんなことばかりにフォーカスしていた。

元々私は重い人間なので、そっちにばかりフォーカスしていたら、その反対の面がどうやら十分生かされていないという事態となった。。。

私がセラピーをするのは、やっぱり自分のためだ。

セラピーを通して自分が成長する。

全体性に近づく。。。

☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°

 
そういえば最近、一着の服を買った。

その色は、フランス語で言えばたぶん"C'est glauque"(青緑色)。

これ、「のだめカンタービレ」で出てきた言葉で、「根暗・陰湿」を暗喩するらしい。

 
私、青緑ってすごく好きなの。

やっぱり私って根暗なのかしら?

う~ん、たぶんね。。。

でも、いいのさ、好きなものは好きだから。

 
☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°

 
実は小学生のときの通信簿のコメント欄には

「真面目で成績優秀、ただひとつ欠けているものは何でしょう?

子供らしいほがらかさなど・・・」

って書かれたことがあって、それは私のひとつのトラウマだ。
 

昨日、何気に指摘されたことは、実は密かに私のトラウマに

関わる部分ではあるのだけど、

なんだか指摘されたことを大いに喜んでいる自分がいるのだ。

 
自分で気づかない自分に気づかせてもらえたこと。

 
それはたぶん、自分でももっと「軽さ」や「外向き」を生きたいと思っているからだ。

 

私にとって「軽さ」や「外向き」ってかなりチャレンジングなことなんである。

 
外交的なこととか大勢でワイワイ騒ぐこととか苦手だし、
 
アルカイック・スマイルは得意だけど、「大笑い」することは滅多にないし。

☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°

 
今年はちょっと実験的にそれらに挑戦してみようと思うので

「あら?Saichin、今日は妙にテンション高くて変だわ」なんて思っても

見過ごしてください。

 
また、私を大笑いさせてくれるような方、大歓迎です(*^o^*)

|

2010年2月 4日 (木)

恵方は西南西

昨日の節分の日、赤坂に住む友達のおうちに遊びに行った。

友達と言っても会うのは今回が3回目。

赤坂といえば、私の家から見るとちょうど今年の恵方にあたるような気がする。

節分には恵方巻きを食べて、穴八幡神社で頂いた一陽来復の御札を今年の恵方に向かって貼らなきゃ~と思っていたので、ちょうどその日、私にとっての恵方に出かけることに何やら意味を感じずにはいられない。

P2030133赤坂に行くならついでに日枝神社にお参りしたいな~と密かに思っていたら、赤坂見附駅で落ち合った直後、彼女から「今、日枝神社で豆まきやってるよ」と言われ、一も二もなく日枝神社にお参りに。

お相撲さんたちが次々と豆の入った小袋を撒いてました。

この良き日にお参りできて幸せでした。

☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°

 
その後彼女の家に行き、長時間お互いについてのいろんなことを話した。

心理療法の世界で知り合ったせいもあって、普通の知り合いだったらそこまで話すまい、というほどのお互いの深い部分についても話せる。

それはとてもセンシティブで、弱くて、闇の部分だったりする。

そういうことをひっくるめて会話ができるということに深い満足感を覚えた。

☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°

ずいぶん長居して、そろそろ帰らなくちゃと思い出した頃、彼女からシビアな意見が出てきた。

このご時勢、推測するに経済は人々の想像を超えた速さでしぼんでいくに違いない。

だからこれまで通りの生き方ではやっていけない時代がすぐにやってくる。

だから、私たちは良いセラピストになるだけではダメで、もっと他に何か、生き残るための方法を探さなければならないんじゃないかと。。。

 

ああ・・・、耳が痛い。

私も経済は今後数十年は下降線を描くだろうと思っている。

だけど、だからと言って人々が路頭に迷うような悲惨な情景は思い描けない。

それは、もしかしたら私が現実を直視していない、うかつな生き方をしてるのかもしれないな~と、思う。

 
1日の最後に重い話題になってしまって、どぉ~んと落ち込んだ気分で帰宅したのだった。

 
そして、それを、夫に話してみた。

「友達が、このままではいけないんじゃないかって・・・」

 

夫いわく、

「え?別にこれでいいんじゃないの?」

「まあ、暮らせなくなったら、そのときはそのときだよ」

 
それを聞いて、なんだかとてもホットとしてしまった私。

単純だ。

 
そして、思い出した、私の座右の銘。

「野垂れ死にを恐れない」

 

えへへ・・・

最終的に野垂れ死にすることを恐れなければ

心はかなり穏やかになる。

 
困ったら、そのときに考えよう。。。

 

そして、 西南西に向かって黙って恵方巻きを食べた。

☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°

今朝、太極拳の参加者の方から、恵方巻きを黙って食べてる間に何かお願い事をするのだということをはじめて聞いた。

しまった、願い事をすることなんて知らなかった。。。

 

私の願い事、強いて言えば、

「無になれますように」ってことにしておこう。

 

|

« 2010年1月 | トップページ | 2010年3月 »