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2009年12月14日 (月)

「自力と他力」

五木寛之の『自力と他力』を読んだ。

いつもくりのみ会の親鸞とカウンセリングのクラスで「自力と他力」の意味がわからなないという話がでる。

特に、参加者は長年学校の教師をしていた人とかが多いせいか、自分で努力することや理論的・合理的に理解するということが染み付いているみたいで、おかしいくらい毎回「他力の意味がわからない・・・」となる。

まあ、真宗の教えは、というより霊性というものは、いくら頭で考えてもわかるようなものではないと思うので、あまり真剣に議論したいとも思わないのだけれど、この五木さんの文章で「なるほど」と思う記述があったので書き留めておこうと思った。

他力は自力の母である、と私は思っています。自分を信じてがんばろう、と決意したとき、その気持ちが訪れてきたことこそ他力の働きではないでしょうか。 P16

そうすると、私たちはどんなことがあっても仏様の掌の上の孫悟空みたいなものなんだなぁと思う。

何か大いなるものに身を任せていると、力が抜けてリラックスする。。。

 
また、本書の中で「自分」というものについて、野口体操で有名な野口三千三さんの言葉を引用してこんな風に書かれている。

(野口三千三氏は)「自分探しとは近代の病である」と言い、そして自分とは「自然のなかの一部分」であるといいました。自然の「自」と、一部分の「分」で、自分だと言いきったのです。そう考えると、近代以降多くの人が模索し、いまも模索しつづけている"自分とはなにか"という大命題は、単純明快になる。  P153

なるほど。。。

私もすぐに自分探しを始める性分なのだけど、最近少しだけ感覚的にわかってきた。

自意識がなくなっているときが一番平安な気分になれる。

そういう時間をより多く持てたらいいな、と。

 
ところで、私が浄土真宗に興味を持ったのは今年の3月くらいからだ。

くりのみ会で4月から「親鸞とカウンセリング」というクラスを始めると聞き、仏教や禅に関心はあるものの、さすがに浄土真宗まではいいや、と思った。

ちょうどその頃、映画「おくりびと」を観て、原作「納棺夫日記」を読んだら、その本の中で著者の青木新門さんが浄土真宗の信仰に目覚めていかれた経緯が書かれており、更にその本の中で高史明氏に言及されていて、高氏を尊敬されているという。

高史明氏といえば、私が中学生のとき高氏の「生きることの意味」という本を読んだがいまひとつ意味がわからず、その後高氏の自殺された長男の残した手記「ぼくは12歳」も読んでいたので、高氏という名前は私には縁を感じるものだった。

高氏が浄土真宗に帰依されたのも息子さんの自殺がきっかけだったらしい。

それで、くりのみ会の親鸞とカウンセリングのテキストが高氏の「現代に甦る歎異抄」だというので、これは何か私に呼びかけられているような気がしたのだ。

 
五木寛之氏についても最近ちょっと気になっていて、氏の本を読んでみようかな~とは思いつつも、あまりにも有名な人なのでちょっと敬遠していた。

だけど、先日ある人から「五木寛之の本を読んで・・・」という言葉が出てきたので、ああ、今読むときなんだなぁ~と思った次第。

五木氏も50歳くらいで浄土真宗に出会い、帰依するようになったらしい。

今年は、浄土真宗に出会った年だったなぁと思う。

とはいっても、私も普通の人と同じように抹香臭いものはあまり好きじゃないし、組織的宗教なんて大嫌いだから、私なりの他力思想について、私なりの霊性について一歩歩みを進めたかなぁ~~~と思ってる今日この頃ですhappy01

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