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2009年9月28日 (月)

薫習

先週のくりのみ会「親鸞とカウンセリング」コースで、会の代表の鈴木さんから「薫習(くんじゅう)」という言葉を教えていただいた。

「薫習」という字からどんなことを想像できるだろうか?

薫製のように、煙でゆっくりと燻すようにじわじわと何かを心身に染み付かせること。

なんだかとてもいい言葉だなぁ~と思った。

 
Wikipediaによれば、薫習とは、「身口に現れる善悪の行法もしくは意に現れる善悪の思想が、起こるに随ってその気分を真如あるいは阿頼耶識に留めること」とある。

 
どうしてこの言葉が出てきたのかというと、鈴木さんご自身が「自分はどうして親鸞や道元について勉強しているのだろう?」と考えたとき、自分のカウンセリング(教育相談)の先輩方がやはりこれらをよく読んでいたからであり、素人ながら仏教について長く学んでいることを「薫習」、あるいは「薫染」の思いで続けている、というようなことをおっしゃったのだ。

勉強にもいろんな次元があるけれども、頭で理論を効率的に理解するような方法ではなくて、じっくりと時間をかけて、頭という表層意識ではなく、人間のもっとも深い無意識の層である「阿頼耶識」を豊かにする。

 
私も、自分のやっている勉強方はまさにこれだと思っている。

まあ、わたくし、頭が悪いので頭による理解は苦手だという本音もあるけれど、やっぱり阿頼耶識を豊かにすることが大切でしょう。

 
「薫習」という言葉について調べていたらある禅寺の和尚さまの文章を見つけた。

座禅とは、座っている時間だけが座禅をしているわけではなく、座禅に行こうと思った瞬間から座禅は始まっており、それがもし歴史ある禅寺に行ったのであれば、その禅寺で何百年も培われた禅の精神は禅寺の全ての佇まいに表現されており、そこに身を置いてお寺の掃き清められた空間や石庭の美しさを感じること自体が座禅であり、それら全てが薫習である、と。

そして、座禅なんかしても何も変わるわけではないけれども、座禅の効果が発揮されるのは、人がもっとも窮地に陥ったようなときなのだ、と。

窮地としっかりと向き合うための精神の強さが、いつの間にか自分の中に培われている。。。

ふむふむ、これだよ、これ!と妙に納得するわたくしですhappy01

参考のために私が読んだ「薫習」についての文章はこちら↓

岐阜市にある瑞龍時の「心の杖」

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