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2009年8月

2009年8月31日 (月)

傘がない

昨日の選挙では予想通り民主党が圧勝し、政権交代の歴史的な日となったわけですが、私としては「なんだかなぁ~」という冷めた心境でいます。

私は政治には全然詳しくないけれど一応選挙だけは行くことにしてて、誰に、どの政党に一票を入れるかはほとんど消去法みたいな感じで決めます。

まあ、民主党さん、せっかく政権取ったのだから一生懸命マニフェスト遂行に勤めて下さいませ。

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さて、社会のことは置いておいて、全く個人的な関心ごと。

先週、NHK教育で4夜連続の「LIFE 井上陽水 40年を語る」を観た。
あまり自分からTVは観ないのだけど、これは毎晩楽しみに観た。

そしてさっそくTSUTAYAでいくつかCDを借りてきて、今週は「陽水週間」。

陽水さんの「心もよう」は当時小6だった私の胸に響き、大好きな曲だったし、80年代のLP「9.5カラット」はよく聴いていて、陽水さんのことは好きなはずだけど、実のところ、あまり真面目には聴いてなかったんだなぁということを発見。

今回改めて陽水さんの様々なヒット曲を聴き直し、その才能の非凡さを改めて認識した次第。

曲も、詩も、歌唱力も、すごいね。。。

それを言ったらダンナに「何十年遅れてんの???」とバカにされた。

中でも、「傘がない」と「ワカンナイ」という曲が今の私の心を捉えた。

どちらも共通する感じがある。

「傘がない」は、学生運動が下火になってきて、自分たちの力では社会は変えられないのではないか?という疑問と挫折が芽生えてきた時代に作られた曲。

大義名分や抽象的な理想論よりも、本当は自分なんてもっと瑣末で、個人の幸せにしか関心なんてないんじゃないの?と、きれいごとや浮ついたことを声高に言ってる人に投げかけているような気がする。

これを単なるラブ・ソングと思う単純な人もいるらしいし、個人主義を肯定しているとか、逆に個人主義を批判しているとか、解釈する人もいるらしい。

どの見方もこの曲の一部分しか見ていない。

だが私はやはり、社会の幸せは個人の足下から、と思っている。

「社会が云々」とかいう前に、自分の内面や家族との関係や日頃おつきあいしている人々との調和を図ることに努める方が幸せには近づきやすいと思うのだ。

まあ、社会のために熱心に尽くしたい人はどうぞ頑張って下さいって感じだけど。。。

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「傘がない」 作詞・作曲:井上陽水

都会では自殺する若者が増えている
今朝きた新聞の片隅に書いていた
だけども問題は今日の雨 傘がない
行かなくちゃ 君に会いに行かなくちゃ
君の町に行かなくちゃ 雨に濡れ
冷たい雨が今日は心にしみる
君のこと以外は考えられなくなる
それはいいことだろう

テレビでは我が国の将来の問題を
誰かが深刻な顔をしてしゃべってる
だけども問題は今日の雨 傘がない
行かなくちゃ 君に会いに行かなくちゃ
君の家に行かなくちゃ 雨に濡れ
冷たい雨が僕の目の中に降る
君のこと以外は何も見えなくなる
それはいいことだろう

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そして、目下の私個人の一番切羽詰まった関心ごとは、我が家の雨漏りだsweat02!!

今のマンションを買って入居したのが11年前。

信じられないことに入居1年目で雨漏りが!

2度も修繕してもらったのに、10年程経った今日の昼、変な音がすると思ったら天井から水が垂れていたshock

これから台風typhoonが通過するのに大丈夫かいな???

今、応急処置の人が来てますが、ちゃんとした修繕は上の階の部屋を通って上の階のベランダに出なければ作業ができない。

よって、サロンの営業も何日か休止しないといけないかもしれないですweep

悲しいし、情けない・・・

まさに「傘がない」の心境ですrainrainrain

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2009年8月25日 (火)

やっぱり奥日光はいい!

先週末、久々に鬼怒川・一心館のヒーリングサロンcocoRoにお手伝いに行った。

そのついでに、再び奥日光へ足を伸ばした。

今月はじめの安曇野旅行は避暑のつもりが灼熱の強化合宿になってしまったので、避暑のやり直し。

奥日光はこれまで何度も来ているけれど、何度目でもいつも感動してしまう。

日光東照宮から日光連山の原生林の中へとバスが進むにつれて大自然の懐に抱かれる幸福感がやってくる。

今回も去年と同じように赤沼茶屋でバスを降りる。

車の通る通りから一歩森の中へ入るや否や、「音が止まる」瞬間を体験する。

本当に、ピタッと、まるで耳に蓋でもしたような静寂が突然現れ、これまでとは違う空間に入ったのだということを確認する。

やがて、遠くから、サラサラサラ~~~~とかすかな風の音がやって来て、新しい時間が始まったのだと教えてくれる。

もうその瞬間に幸せで幸せで仕方なくなり、「ありがとう!」と心の中で何度もつぶやく。

心の中だけでは足らなくなってきて、声に出して「ありがとう!ありがとう!ありがとうございます!!」と繰り返す。

またここに来れたことを心からうれしく思う。

赤沼周辺はそれでも結構人が多く、静寂の中に人のおしゃべりの声が近づいてきては遠ざかっていく。

私はより静寂な場所を求めて、今回は小田代が原方面に向かってみる。

こちらは人がすごく少ない。

Yukawa_2 

人気のない森の中を湯川が静かに流れている。

あまりの静謐さに感動して、しばし湯川のほとりに座り、この場へのあいさつと感謝と自分の浄化の意を込めて般若心経を読経する(ちょっと変かしら?)

読経を終え、かつて修験者がこの山で修行をしたんだなぁなんて思いながら、ここならば本当に神様と会話が出来そうな気がしてくる。

そこで、神様に向かって「ありがとうございます」と語りかける。

すると、あたり一面にサワサワサワ~~~と風が吹きぬけ、「???これは神様からのご返事????」などと思うのだった。

Pathtoodashiro

あたり一面緑の森。人はだれも見えない。

日の光の加減で森の緑がまるで新緑のようにキラキラと輝く。

そこを一人、歩く。

至福。

だけど、同時に、このあたりには熊が出るという情報もあるので、一人でいるのはちょっと恐い。

本当はとことん静寂を味わいながら歩きたかったけど、赤沼茶屋で買った熊除けの鈴をりんりん鳴らしながら歩く。

たまに人とすれ違うとホッとする。

(人との逢瀬はこの程度がいい)

40分ほどで小田代が原の展望台に到着。

広々とした風景に開放感を味わいながら、東武日光駅で買ってきたお稲荷弁当を食す。

Odashiro1_2 Odashiro3_2

Odashiro4 

奥日光は一箇所に見所がたくさんあって本当にお得な場所だ。

いくつかの湖(湯の湖、西の湖、中禅寺湖、他)、湿原(戦場ヶ原、小田代が原)、森、川、山、趣の違う3つの滝(湯滝、竜頭の滝、華厳の滝)。

来年の避暑は絶対また奥日光に来ようと心に誓って帰路に着いたのだった。

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去年の秋の奥日光の様子はこちら↓

http://esalen-bodywork-kai.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/1-d255.html

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2009年8月15日 (土)

阿弥陀堂だより

先月のくりのみ会の「親鸞とカウンセリング」クラスで紹介された『阿弥陀堂だより』という映画(DVD)を見て、原作の本を読んだ。

原作は1995年、映画は2002年の作品だが、全然知らなかった。

私の興味を引いたのは、原作者が南木佳士だということ。

南木佳士の名は、8年前、私の魂に最初の影響を与えてくれた中学の恩師と20年ぶりくらいに再会したときに「すごくいいよ」と薦められたのに、なぜかピンとこなくてこれまで読む機会がなかった。

それが、やっと今、つながった。

あのときにはまだ早かったんだな、私には。。。

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映画の方はわたし的にはちょっと物足りなかったけど、南木佳士の小説は文章がすんなりと細胞に入ってきて、ときには信州の田舎のゆったりとした時間の流れを感じ、ときには主人公の妻のパニック障害の描写にリアルな共感を覚えたりしながら読んだ。

ストーリーは、エリート医師の妻と売れない小説家で主夫を担当する夫という一組の夫婦が、妻のパニック障害をきっかけに信州の田舎に移り住み、その田舎の集落の先祖の霊を祀る「阿弥陀堂」の堂守の96歳の老婆らとの交流を通して、妻が病から回復していく過程などが描かれている。

都会で自力の努力で常に背伸びして生きてきて限界に達した女性が、田舎の自然や、そこで自然と調和して生きる人々との交流の中でだんだんと自我の執着を手放し他力的に生きることに目覚めていく、というストーリーはあまりにもわかりやすすぎる。

それでもなんとなく文章に引きつけられるのは、著者自身が医者でありかつパニック障害やうつ病を経験しているので、自らの人生の体験から出てきたリアルな言葉だからだろう。

読んでいるこちらも、かつて家族がうつで大変な時期を経験しているので、妻がパニック障害に苦しみ夫がそれに寄り添う姿は他人事ではない臨場感を感じながら読んだ。

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物語の中では地区の月刊広報誌に「阿弥陀堂だより」という短いコラムのコーナーがあって、そこには阿弥陀堂の堂守、96歳のおうめ婆さんの何気ない日々の言葉が載せられている。

内容はこんなもの。

「目先のことにとらわれるなと世間では言われますが、春になればナス、インゲン、キュウリなど、次から次へと苗を植え、水をやり、そういうふうに目先のことばかり考えていたら知らぬ間に九十六歳になっていました。目先しか見えなかったので、よそ見をして心配事を増やさなかったのがよかったのでしょうか。それが長寿の秘訣かもしれません。」『阿弥陀堂だより』文芸春秋(P96)

「九十六年の人生の中では体の具合の悪いときもありました。そんなときはなるようにしかならないと考えていましたので、気を病んだりはしませんでした。なるようになる。なるようにしかならない。そう思っていればなるようになります。気を病むとほんとの病気になってしまいます。」(P145)

「食って寝て耕して、それ以外のときは念仏を唱えています。念仏を唱えれば大往生ができるからではなく、唱えずにはいられないから唱えるのです。
もっと若かった頃はこれも役目と割り切って唱えていたのですが、最近では念仏を唱えない一日は考えられなくなりました。子供の頃に聞いた子守歌のように、念仏が体の中にすっぽり入ってきます。」(P204)

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私もちょっとだけおうめ婆さんの域に達しているような気がしないではない今日この頃だ。

私の中では、勤め人時代の表の世界からは既にリタイアしたという感じがあって、上を目指す生き方はもう止めようと思った。

それでも、会社を辞めて3年間は新しい仕事として選んだセラピーの勉強やサロンを軌道に乗せたいという欲がたくさんあった。
最近、その欲もずいぶんなりを潜めてきた。

本当に必要とする人が来てくれればいいや・・・、と。

そして空いた時間には読みたい本でも読もう・・・、と。

このところ淡々とした日常が続いている。

今現在大きな心配事もなく。

こんなんでいいのかな~と、心配事がない自分が不安になったりするのだが、たぶんこれでいいんだろうと自分に言い聞かせ、淡々と生きてみようと思うのだった。

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それにしても、絶対他力の思想の奥は限りなく深い。

私にはまだまだよくわかりません。

でも、こういうことはいくら頭で考えても「自見の覚悟(自分本位の見解)」によって知恵の闇がますます深くなるばかりだろうから、いつか必要なときにストンと落ちて来るのを待とうと思います。

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2009年8月12日 (水)

ムンクのアルマ・マーテル

「アルマ・マーテル」という言葉について調べていたら、あの有名なノルウェイ出身の画家ムンクが同名の作品を描いていることを知った。

ムンクといえば「叫び」があまりに有名なため、ムンクの絵というと暗い陰鬱な絵というイメージが定着しているが、実際は非常に多様で豊穣な芸術家であることがわかった。

「アルマ・マーテル」が描かれているのはオスロ大学の講堂で、ローマ神話の大地母神ケレスが、画面中央に幼子を抱いて座っている。大地の豊穣、慈愛、そして「オスロ大学を母校」とする、という意味を込めているようだ。

ムンクは40歳前後で精神を病み、何年間か精神科医のもとで療養生活を送っている。

やがて病から回復した後に、この「アルマ・マーテル」は描かれている。

同じ講堂には他にも「太陽」、「歴史」と言ったとても力強い作品が描かれていて、きっとムンクも長い精神の闇を経て、何か光に至る体験をしたのだろうと思う。

ムンクの「アルマ・マーテル」の絵は、ノルウェイの「ムンク・ミュージアム」のページをスクロール・ダウンしていくと見ることができます。
http://www.munch.museum.no/content.aspx?id=77&mid=76&lang=en

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2009年8月10日 (月)

アルマ・マーテル

新しいサロン名Alma Materは、ポルトガルの音楽家ロドリーゴ・レアンのCD「アルマ・マーテル」から頂きました。

私はロドリーゴの音楽が彼の以前の参加グループ「マドレデウス」の時代から大好きなのです。

ロドリーゴの音楽はとても温もりに満ち、静謐さと美しさがあり、そして、なんともいえない郷愁をさそう。

そしてとても宗教的であり精神的。

だけど、仰々しくなく、キャッチーなメロディーが心地よい。

このアルバムのタイトル曲になっている「アルマ・マーテル」は、長い苦しみを経験した後の大団円のような清清しさがあり、慈愛があり、長かった闇夜の後の朝焼けのようだ。

新しいサロンの名前を決めるとき、なんとなくロドリーゴの音楽の世界からヒントをもらえないかと思った。

それまで「アルマ・マーテル」という言葉の意味なんて全然知らなくて、調べてみたら「魂の母」とか「精神のふるさと」とかの意味があると知り、なんとなく私のサロンのイメージにぴったりな感じがしたのです。

この音楽を聴いて感じる郷愁は、やっぱり魂のふるさとのようなものをなのかもしれない。

ロドリーゴの経歴を知ると、彼は一旦は固い勤め人として働いていたが音楽の夢が捨てきれずに脱サラして音楽家となり、ポルトガルの人気グループ「マドレデウス」として世界中を飛び回るようになった後にもさらに自分の音楽を追求したくてグループをやめ、何年も模索し、自分の音楽に迷いながらやっとたどり着いたのがこのアルバムだ。

だから、なんだか苦悩の後の清清しさみたいなものが感じられるのだろうと思う。

世界の祝福といったら大袈裟だろうか?

だけど、何らかの苦しみや悩みを抱えて私のところにやってくる人が、
最後には絶対にこの音楽のような祝福の世界があるのだということを信じてくれたら、というか、感じてくれたらいいなぁ~と思うのであります。。。

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2009年8月 8日 (土)

サイト移転のお知らせ

エサレン(R)ボディワーク・サロンKai~海~はこの度

心と体のセラピースペースAlma Mater(アルマ・マーテル)

として生まれ変わり、新サイトへ移転いたしました。

これまでのHPもしばらくは残しておきますが、旧HPからはお問合せ・ご予約はできません。

お手数ですが新しいURLにブックマークをお願いいたします。

http://alma-mater.sakura.ne.jp/

これまでサロンKai~海~をご愛顧下さりありがとうございました。

Alma Materもこれまで同様よろしくお願い申し上げます。

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「Esalen Bodywork Salon Kai~海~」という名前は、2年4ヶ月前、エサレンの資格を取ってすぐにサロンを始めるに当たってつけた名前でした。

あのときはエサレンしかできることがなかったので、とにかく「エサレン」という看板で仕事を始めたのです。

でも当初から私の目標は「心と体」の両面からアプローチできるようになることでした。

今、曲がりなりにも自分の目標に近づきつつあります。

これからはエサレンを超えて、自分なりのセラピーを築いていきたいと思っています。

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Alma Mater(アルマ・マーテル)とはローマ神話の豊穣の女神・大地母神ケレスのラテン語で、魂の母、慈しみ深い母、養育の母などの意味があり、精神の故郷・いつでも帰っていける場所という意味も表します。(そこから、現代英語では「母校」という意味で使われています。)

自分でこんな名前をつけてしまうとは畏れ多いとは思いますが、このささやかなセラピースペースが多くの人たちの生命力と叡智を育む場所となりますように、また、いつでも帰ってこられる場所でありますようにと願っています。

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2009年8月 5日 (水)

夢のパラダイス

8/3から安曇野へ家族旅行に行ってきました。

安曇野はずっとあこがれていた場所。

私の魂の父・黒澤明監督の映画『夢』を見たときに、こんこんと流れる川の袂に水車が回っている風景を見て、こんな天国みたいな場所が本当にあるんだろうかと思った。

それが安曇野にある大王わさび農場だと知り、ひと目実物を見てみたいとずっと思っていた。

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大王わさび農場でクリアボートに乗ってしばらく川と戯れ、川の上から水車を眺め、ガイドのお兄さんの説明を聞いた。

なんと、この水車は映画『夢』の撮影のためのセットとして建てられたのだそうだ!!

(しかも、この川は実はただの用水路であって、地元の人たちは全然ありがたみも感じていないとか。)

ちょっとショック・・・

だけど、さすが巨匠・黒澤さんだなぁと思った。

「なければ作ればいい」

鶴の一声でザザザっとセットができてしまったのだろう。

映画上映以来、この水車が大王わさび農場の顔となり、安曇野の象徴とでもいうべき風景になってしまった。

それならそれでよいでしょう。

しかも、遠近感を出すために、3つの水車小屋はわざと大きさを変えてある!

これから『夢』のビデオをじっくりと見直してみようと思います。

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大王わさび農場は安曇野観光のメインスポットとして大繁盛している。

農場の中は気持ちいいし、わさびを使った様々なお土産もみなとてもおいしい。

P8040129レストランもわさびづくし。

わさびビール、わさびスパゲティ、わさびカレー, etc.

頂いたわさびカレーは、ココナッツオイルを使用しているのかとてもクリーミーで日本風グリーンカレーといった非常によく出来た一品でした。

左上の飲み物はわさびジュース。

辛さが足らなければ脇にある擂りわさびをジュースに投入していただきます。

清らかな湧き水のほとりには小さな可憐なお花とモンシロチョウやミツバチがいて、やっぱりパラダイスっぽさを醸し出していました。

P8040134 P8040135

 
だが、それにしても真夏の安曇野は暑かったです。

想像以上に広々とした安曇野。

私たちの足は唯一、自転車。

泊まった江戸川区立穂高荘から大王わさび農場まで自転車で1時間かかり、帰りはそのほとんどが緩やかな上り坂。

炎天下の自転車移動はかなり体力が要り、ダンナも帰り道々、「休暇と言うよりも『強化合宿』って感じ」  と言って音を上げてました。

熱中症にならなくてよかったです。

みなさま、安曇野に行くなら春や秋がオススメですよ。。。

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