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2009年5月

2009年5月29日 (金)

「幸福には勇気が必要」

ヘリンガーの『愛の法則』を読み始めた。

まだまだほんの少ししか読み進めていないけれど、さっそく感銘を受けた文章があるので引用する。

「幸福についてお話しましょう。幸福は人を孤独にする傾向があるので、しばしば危険に見えます。問題に対する解決も同じことです。解決は、人々を孤独にしかねないので、しばしば危険なものとして経験されます。それに対して、問題と不幸は人々を引き付けるようです。問題と不幸は、よく罪のなさと忠誠の感情に自ずと結び付くのに対して、解決と幸福は、裏切りと罪悪の感情にしばしば結びつけられます。そのような罪の感情は理にかなっていないのですが、それでも裏切りや罪と同じに経験されます。だから問題から解決への移行がそんなにも難しい理由なのです。しかし、たった今私が言ったことが真実なら、そしてそれをそのようなものとして受け入れるなら、あなたはあなたの信条全体を変えなければならないでしょう。」

バート・ヘリンガーの『愛の法則』(和尚エンタープライズジャパン)P29より

ヘリンガーの思想には、優しいだけではなく、ものすごい厳しさがある。

彼の言うことの全てが本当かどうかは私には未知数だけれど、検証してみる価値は大いにあると思う。

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2009年5月28日 (木)

猛禽類

昨日、江ノ島神社にお参りに行った。P5270102

大船から湘南モノレールに乗ると、ほどなくトビが空高く飛んでいるのが目に入った。

そして、今回私は弁天様というよりも、トビに会いに来たのかもしれないなぁと思った。

トビは、一番身近な猛禽類だ。

先日、ハコミの自主勉強会でラビング・プレゼンスのエクササイズをやったとき、ある人が私の存在から受け取ったものとして「猛禽類」のイメージが浮かんだとおっしゃった。

それを聞いて、私は「ふふ~~~ん・・・」と思った。

今までラビプレで猛禽類と言われたことはなかったように思う。

私は長い間、自分の中の柔らかい部分ばかりを表に見せて生活していた。

そして、つい最近心境の変化があり、もっと自分の中の強さを引き出して、生かしていこうと思うようになったのだ。

私の中にはものすごい強さや鋭さがあって、普通にしていると他者は私のことを怖がると思っている。そして傲慢であると思うだろうと。

だから、妙に自分の強さを押し隠して、柔らかく優しく見せようとしたり、弱く見せようとしていた気がするのだ。

そんなことを長年やってたから、セントーリーを必要とするような、NOの言えない自分になってしまったような気がした。

本当の私はものすごく強くて、鋭くて、気高くて、傲慢なんです(^_^;)

P5270093 私の中に明らかに猛禽類がいるのだ。

いつも空高くから俯瞰して世界を見ている。

普段は気流に乗っているのでほとんど羽ばたく必要もなく、優雅に空に舞っているのだ。

そして、必要なときに、その鋭い目線と嘴と爪で、一瞬にして獲物を捕らえるのだ。。。

猛禽類が今の私のパワーアニマル。。。

江ノ島にいる間、ずっとトビを見つめ、「ピーヒョロロロ~」という華麗な鳴き声を堪能した。

☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°

P5270106_2 猛禽類といえば、エリザベス・キューブラロスを思い出す。

たしか、彼女は自分の前世は鷲だと言っている。

彼女の性格も鷲みたいに鋭い。

そして、私はエリザベスを敬愛し尊敬し、

全く僭越ながら、「エリザベスみたいなセラピストになりたい」と思っているのだ。

ターミナル・ケアの先駆者として数え切れないほどの死にゆく人々と時間を共に過ごし、一般人の死に対するタブーを超えて、死にゆく人たちの本当に切実な気持ちを受け留め続けた。

目の前の死にゆく人にとって今一番必要なことは何なのか?

それは「死について語ること」だったり、死についての恐怖をそのまま受け留めることだったりした。

それは決して「がんばって生きて!」なんていう励ましの言葉ではなかった。

どこまでも真実を見ようとする鋭い視線と、限りない慈愛に溢れるキューブラロス。

まあ、私なんか足元にも及ばないけれど、あんな人になりたいという理想を述べるくらい、許されてもいいよね。。。

 ☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°

ところで、下の写真は、全く鋭くない、なごみ系120%、「狛犬に守られるネコ」の図です。江ノ島神社の奥津宮にて。
P5270088_2

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2009年5月27日 (水)

サイキック・プロテクション

フィンドホーン・フラワーエッセンス(FFE)に「サイキック・プロテクション」というコンビネーション・エッセンスがあって、一番売れているそうだ。

私は今まで、あまりこれを使いたいとは思ってなかった。

というのは、防御したいと思う裏には恐怖があるから。

あまり恐怖にかられて生きたくはない。

 
それでも、これを飲んでみたいと思うときってやっぱりあるんだなぁと思った。

要するに、今、これを飲んでいる。

 

最近仲違いした人のことで、ふと気づくと常に頭の中で口論している自分がいるのだ。

こうやって相手のことを考えてしまうこと自体、相手にエネルギーを吸い取られているような気がして不愉快で、早く頭の中から想いを消し去りたかった。

で、サイキック・プロテクションの出番というわけ。

ボトルの中には以下の7種類の花のエッセンスが入っている。

  • デイジー・・・騒然とした状況の中でも静かで自分自身の中心にいる
  • シスル・・・内なる強さと勇気
  • ローズアルバ・・・どんな状況にも対処する辛抱強さ、粘り強さ、忍耐
  • ウォータークレス・・・ネガティブなエネルギーを変容させて浄化する。内なる防御の強化
  • アイオナ・ペニーワート・・・安全で守られていると感じる。内なる光と強さを引き出す
  • アンシャント・ユー・・・明確な境界を設定する。自分のパワーを守る
  • ウィンターグリーン・・・屈しない。楽観主義と自己満足

そろそろボトル1本飲み終わるけれど、変化としては、相手の低次元の感情に引きずられるのではなくて、自分はあくまでも自分が留まりたい高次のレベルに居続けようという気持ちが強まったことだ。

自分の内面の波を鎮めることが、自分のみならず、両者にとっても一番よいのだろう。。。

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2009年5月24日 (日)

歎異抄

「善人なおもて往生をとぐ 
 いわんや悪人をや」

これを中学の歴史の教科書で初めて見たときには「えっ???」と思わざるをえなかった。

今、この意味を深く深く考えなければなぁ~と思う。

絶対的な善悪は存在しない。

善悪とは、常に相対的なものだ。

自分が善かれと思ってやっていることが、他者の目から見れば悪の場合がある。

自分が正しいと信じ込めば信じ込むほど、

「自見の覚悟(自分本位の見解)」によって知恵の闇が深くなる。。。

 

今、日常の瑣末な出来事の中で、「自力」では解決が無理な事態に遭遇し、ここはひとつ、「絶対他力」の救済に頼るしかないなぁと思うのだった。。。

南無阿弥陀仏・・・

 

昨日、くりのみ会主催の「親鸞とカウンセリング」に出席しての所感である。。。

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2009年5月23日 (土)

スーパーヴィジョン

先日、ハコミのスーパーヴィジョンを受けた。

スーパーヴィジョンとは、セラピストやカウンセラーがクライエントとのセッションと並行して、指導者であるスーパーヴァイザーの面接を繰り返し受け、自分のセッションについて報告し指導・助言を受けること。

ハコミの場合は、トレーニング・コースを終えてから実際のセッションをビデオに録画して、それを指導者に見てもらいつつ詳細な指導を受ける。

そして、ハコミでは100本くらいはビデオ撮りしてスーパーヴァイズを受けなければ認定は取れない、というような風評があるくらい、認定を取るのは難しいといわれている。

まあ、あまり「難しい」という先入観を自分の中にもハコミ・トレーニング生の間にも植えつけたくないので、あまりこういうことは言わないほうがよいのかもしれない。

ところで、私は認定を待つまでもなく、実際にサイコセラピーのセッションを始めてしまったわけで。(ハコミセラピーをやるわけではなく、私のセラピーをやるのだから、別に認定は必須ではないのです。これはトレーナーの認識ともずれてはいません。)

だがしかし、実際にお金を頂いて、ひとさまの心に触れさせて頂くという行為は、私をとてもナーバスにさせて、さっそくいろんな疑問や不安がむくむくと頭をもたげてきた。

そこで、認定を取るとか取らないとかには関係なく、プロのサイコセラピストとしてスーパーヴァイズを定期的に受けるのは必須のことだと心の底から思うに至り、義務的にではなく、とても自発的な気持ちでスーバーヴァイズを受けることにした。

普通はセッション・ビデオを持参してみてもらうのだけど、私はまだビデオカメラすら持っておらず、今回はビデオを見てもらうのではなくて、私がこれまでセッションを重ねてきた中での疑問点などを思いつくままにスーパーヴァイザーに尋ねてみた。

質問に対するスーパーヴァイザーの答えは、私をかなり深いところで納得させるものがあり、私がこれからセラピーをしていく上での立ち位置を再確認するのにとても役立った。

☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°

いろいろな助言の中で、私にとって印象的だったいくつかをここに書く。

セラピーは技法が癒すのではなく、「人間力」そのものに拠ること。

たとえ病名を持ったクライアントと対するときにも、見るのは常に目の前にいる人そのものであって、「決して病名では見ないこと」。病気かどうかは全く関係ない。目の前にいる人がその人としてよりよい生き方ができるようになるためのお手伝いをすればよい。
(病名は医者のためのものであって、患者のために作られたものではない。)

そもそも、ものごとを発想する際に「心配から行動しないこと」。もし何かが起こったらそのときに対処すればよい。

「生死、セックス、お金」の問題は必ず突き当たる問題(タブーに触れることだから)なので、この点については十分に自分の中をクリアにしておくこと。

etc., etc.,

こうして書くと、何を今更?って感じもあるが、実際にそれが自分の中に深く根付いているかというと、実際の場面に遭遇するとすぐに右往左往してしまう自分がいることを否定できない。

何度も何度も再確認しつつ、自分の腹を据え、足元を固めなければいけない、と痛切に感じたのだった。

 

「ところで・・・」とスーパーヴァイザーは私に尋ねた。

「たくさん質問があったけど、全ての質問に通底しているものがあるように感じたけど何だと思う?」

 

しばし、自分を振り返る・・・

どうやら私は「・・・べき」ということに囚われている。

何か、全てを正しい基準に当てはめなければいけないような強迫観念に囚われている。

裏を返せば、「自分は何か間違ったことをしていないか?」といつも心配している。

何が私をそんなに正しい形に拘らせるのか、自分の内面を見ていく課題が浮上してきた。

 

クライアントさんと関わる中で自分の内面が刺激され、自分の内面を見つめ直さざるを得なくなる。

そうやって私自身も少しずつ成長していく。

お金を頂きつつ、成長の機会まで頂けて、私はただただクライアントさんに「どうもありがとうございます」と言うしかない。

「このご恩は決して忘れません。」

「このご恩はいつの日か必ず、他のクライアントさんにお返しします。」

 

恩は必ずしも本人に返さないといけないものではない。

勝手な、傲慢な言い方のように聞こえるかもしれないけれど、私はそう思う。

☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°

こんな風に書くとおり、私はまったく未熟で不完全な人間であり、ごくごく新米セラピストです。

でも、こんな私でも、お力になれることも絶対にあると信じています。

ご縁があったらお会いいたしましょう♪

☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°

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2009年5月20日 (水)

青原 兎 木版画展のお知らせ

私の古くからの友人、青原兎(あおはらうさぎ)さんが'09年6月2日~7日まで、
国立のギャラリー小花譜にて木版画展を開催することになったので
お知らせさせていただきます。

Usagi002_2

兎さんの作品はとても繊細で、、生きることの切なさや哀しさが伝わってくると共に、生への限りない切望も同時に感じられ、ある種、宗教的であると思います。

あまり口当たりのいい絵という感じではないかもしれません。

彼女自身、もうずいぶん長い年月を重い病とともに過ごしていて、生きることに絶望しそうになりながらも、彼女の中の何かが激しく生を求めて生きているのです。

長野県在住の彼女は、今回の個展も、体調が思わしくないので会場に行けるかどうかはわからないとのことでした。

  
私のサロンにもいくつか作品を飾ってあるので、サロンにいらしたことのある方は彼女の作品を目にしているかと思います。

私が持っている作品を写真に撮ったものを、兎さんの許可を得てここに掲載します。

これらの作品にピンと来た方は、ぜひともギャラリーまで足を運んでみて下さい。

P5120091_2 「泣くエンキドウ」

とっても小さな作品です。

"エンキドウ"とは『ギルガメッシュ叙事詩』に出て来る、牡牛のような力を持ち、けものの皮を着た怪物です。

この作品は、我家のトイレに飾ってあります。

トイレなんかに飾って申し訳ないけど、毎日何度も通う場所なので、一番頻繁に作品を味わえるのでいいんじゃないかと思ってます。

P5120087_2「夜の華」
我家の玄関を入ってすぐの廊下のところに飾ってあります。

カラーの版画を作るには何版も色を重ねることが必要なので、とても手の込んだ作品です。

でも今回の展覧会には残念ながら出品はしないみたいです。

 



 
 
 

 

 

P5120090「夜の水浴」

これはまだ飾ってありません。

絵が渋すぎて飾る場所がないんです・・・

きれいな箱に入ったままのこの版画を、今回写真を撮るために久々に拝みました(^_^;)

 
 

☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°

 

中央線沿線の方、東京の西部にお住まいの方、ぜひぜひ足を運んで下さい!!

私も6月2日か3日に覗きに行こうかと思ってます。

clover

clover

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2009年5月17日 (日)

ピストーリウス

友達とケンカ別れしてしまった後、またはそれまで親しんでいた組織から離れざるを得なくなってしまったとき、私はヘッセの小説『デミアン』の中で主人公シンクレールが魂の友ピストーリウスとケンカ別れしてしまう場面を読んで、自分をなぐさめる。

風変わりな音楽家ピストーリウスは、シンクレールにとってマックス・デミアンに続く魂の友だった。

二人は一時、お互いの魂について、既成の宗教や道徳に囚われない自由な精神について、様々なことを語り合い、理解しあい、とても貴重な時間を過ごした。

一時期のシンクレールにとってはピストーリウスは新しい道を指し示してくれる指導者でもあった。

だがやがてシンクレールはピストーリウスを無条件に指導者として仰ぐことに抵抗しはじめた。

「少年時代のもっとも重要な数ヶ月の間に、ぼくが体験したことは、ピストーリウスの友情であり、その忠告となぐさめであり、彼を身近に感じることであった。彼のなかから、神がぼくに語りかけたのである。ぼくの夢も彼の口を通じて、解明され判断もされて、ぼくのところへもどってきたのだった。ピストーリウスはぼくに、ぼく自身への勇気をさずけてくれたのだ ―それなのにぼくは、彼に対する反感がだんだん強くなっていくのを感じた。」『デーミアン』旺文社文庫P179-180

そして、それまでは全く言い争いも何もなかったのに、突然、何気ない一言がシンクレールの口をついて、それはピストーリウスの致命的な弱点を残酷にも一突きすることとなり、一瞬にして二人の仲は終わりを告げることになってしまう。

シンクレールは自分が犯してしまった致命的な行動を悔やみ、苦しむが、運命が二人を分かつときが来ていたことにさからうことはできなかった。

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今回の私のケンカ別れも、これと同じことだと思っている。

それはどちらから起こったのかはわからない。

でも、しばしの間、お互いに交流し、お互いの魂を刺激し合い、その結果お互いがより自分の道が明確に見えてきたら、そこで別れるのだ。

大きなプロセスに身を委ねて。

 

だけど、これが、また何年かのときを経て、ブーメランのように戻ってくることがあったら、それはそれで神様からの恩寵としてありがたく受けとめたい。

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「鳥は卵から出ようとしてもがく。卵は世界だ。生まれ出ようとする者は、ひとつの世界を破壊しなければならぬ。鳥は神のもとへ飛んで行く。その神の名は、アブラクサス」『デーミアン』旺文社文庫P131

人は、何度も自分の世界という卵を突き破りながら大きく成長していくのだ。。。

私の持ってるのは昭和48年に出版された旺文社文庫で、とっくの昔に廃刊になっており、今は新潮社文庫のが一般的。新潮社のも最近装丁が変わったんだね・・・

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2009年5月16日 (土)

終止符

友達と大ゲンカした。

あからさまな気持ちを伝え合って

お互いに「もう友達でいるのは止めよう」という結論に至った。

 
だけど、困ったことに清清している私がいる。

 

セントーリーの影響か?、それともファミコンの??

 

いずれにしても、こうやって私のコンステレーション(布置)は変化していくのだ。。。

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2009年5月13日 (水)

ファミリー・コンステレーション

先日、ファミリー・コンステレーション(通称ファミコン)のワークショップに参加してきました。

ファミコンは、ドイツ人の元神父でありサイコセラピストのバート・ヘリンガーが生み出した家族療法的なアプローチのグループワークです。

とは言え、ヘリンガーの著書『脱サイコセラピー論』というタイトルが示す通り、一般的な心理療法の域を超え、とても宗教的とも言え、またトランスパーソナル、スピリチュアルとも言える深いワークです。

(ただし、ヘリンガーはいわゆるスピリチュアルなことを「魂の重みがない」と言って否定的です。)

ファミコンでは、個人が抱えている問題を、その人の内面ではなく、その「家族というシステム全体」から問題を観ていきます。

個人が抱える問題は、その個人が属する「家族システム」の中で生じている滞りや障害(魂のもつれ)によって引き起こされている可能性があり、ファミコンでは、その魂のもつれを探し出し、表面化させることで、問題に対しての新しい見方や気づきを提示していくものです。

「コンステレーション」とは"星座"や"布置"という意味があります。

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私がファミコンのことを耳にしたのはたしか2002年。

知り合いがヘリンガー氏が来日した際のワークショップに参加し、「何が起こっているのか全く理解できなかったが、とにかくすごかった」と言っていました。

その後、2005年にヘリンガーの『脱サイコセラピー論』が出版されたときにこれを読んで、その奥深い思想に感嘆しました。

とはいえ、その頃の私は「セラピーなんてもう要らない」と思ってたので、あまり深く考えることもなく、なんとなく意識の奥の方に沈みかけてました。

その後、最近になってハコミ認定セラピストでファミコンのファシリテートをする人がいることを知ったり、ハコミ仲間がファミコンに参加してとてもよかったという話が出始めたので、『脱サイコセラピー論』を再読してみると、やはり重みのある文章に再び胸を打たれ、これはひとつ体験してみなければ、と思った次第です。

さて、それで、5/9に開催されるWSの情報を手に入れて、参加したわけですが、私のパターンとして、未知のものにどっぷり自分を投げ出すのは気が進まないので、今回は自分のワークができなくても、傍から眺める程度でいいや、と思っての参加でした。

そうして当日会場に行ってみると、2名の方がドタキャンしたそうで、しっかりと自分のワークができるはめに!

そして、驚いたことに、昔、心の探求を一緒にしたことのある古い友人とそこでばったりと再会することにもなりました。

約5年ぶりでしたが、魂の探求の同志との再会が私に勇気とリラクッスをもたらしてくれました。

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ファミコンのワークの仕方はとても風変わりです。

ファミコンでは、クライアントが自分の解決したい問題について話し、その後で自分の原家族の家族構成について報告します。

その際に重要なのは、家族の中で既に亡くなっている人の存在や、家族の中で疎まれているような人の存在、そして戦争体験を持った家族がいるかどうか、などです。

そして、家族の構成員の一人一人の代理人を立て、クライアントが自分の感覚がフィットするような位置関係に家族をあちこちに配置します。この配置が"コンステレーション"です。

家族の代理人たちは、自分がその場に立って、他の人たちとの距離や向きを感じながら、自分の中に起こってくる感覚についてファシリテーターに報告します。

そして、徐々に位置関係を変えながら、代理人たちにとって調和や心地よさを感じるような配置を作っていきます。

その際に、たとえば母の代理人が父の代理人に対して言いたいと思った言葉が浮かんだりしたら、その言葉をそのまま相手に伝えたり、ときにはファシリテーターから「よかったらこういう言葉を言ってみて下さい」などという介入の下に、特定の言葉を誰かに伝えてみたりします。

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私は最初、代理人としてワークに参加したのですが、代理人としてそこに立ってはいるけれど、私の中に起こってくる感覚はどう考えても代理人のものではなく、私自身のものです。

現実の私として、別の役柄の代理人として立っている他者の現実の身体を見て、その立ち方や息使いなどを感じている。

それを感じて私に起こってくることを伝え、他の代理人も自身の中に起こってくることを伝える。

それを繰り返しつつ、お互いにとって居心地のいい位置関係を探っていくうちに、何故か私の中に突如として涙を伴うような言葉が出てきて、それに反応した相手(代理人)の呼吸が変わり、大きな変化が起こり、ワーク全体を傍で見ていたクライアント自身にも気づきと感動が起こる、というなんとも不思議な体験をすることができました。

私自身、「これはいったい何が起こっているの???」と終始疑問符がつきっぱなし。

でもとにかく深い感動がある。

それはとてもおごそかな儀式のようであり、まるでギリシャ悲劇のひとコマでもあるような感じです。

そして、代理人として立っている人の心と身体をチャンネルにして、人類の集合的無意識が現れ出ているような感覚を感じ、同時に最近巷で話題の「量子宇宙論」的な魂の非局在性など、とにかく不思議な、神秘的で偉大な感覚を得ることができました。

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私自身のワークのときは、参加者の人数が足りないせいで、自分の役は自分でやったので、傍で見ていてどういう感じがするのかを体験することはできませんでした。

でも、私の場合は案の定、母との関係性がとても重要なテーマであることが浮上し、「間違っているかもしれないけど、試しにこう言ってみて下さい」との前置きに続くファシリテーターからの介入の言葉は、あまりにもズバリと私の魂の奥に突き刺さるような真実を言い当てていました。

私は涙をこらえることができませんでした。

そして、私が「長い間背負ってきたものを母に返す」というような儀式的な言葉を、母の代理人に向かって伝えました。

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ファミコンでは、難病、自殺、離婚、養子、近親相姦、同性愛、犯罪など・・・人間のすべての行い、すべての心理の裏には、「愛」が作用していると考えます。

「考える」というよりは、ヘリンガー自身が長年の経験から発見した真実です。

そして、家族の中で亡くなった人や、疎まれて亡き者のように扱われている人がいる場合、家族の中の誰かがその役割を引き受けて生き続けている、というようなことがしばしば発見されます。

そしてそれらの行動は全て、「愛」に突き動かされているのです。

ファシリテーターの話によれば、何百というケースに遭遇しながら、全ての根底には「愛」が流れていることを彼女自身実感したそうです。

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そして、このファミコンでその愛を見つけ出し、クライアントや参加者がそこで和解や調和を体験することで、その場にはいなかった家族メンバーにも変化が訪れるといいます。

私の場合、どんな変化が訪れるかなぁ~と楽しみです。

そして、奇しくも、WSの翌日が母の日でした。

私は母のことは大切に思ってはいるけれど、あまりにも魂がかけ離れているために日常会話はあまり成り立たず、連絡を取るのも年に数回以下です。

ただ、母の日だけは大切にしたいと思って、毎年お花を贈り、決まって御礼の電話が鳴る。

どんな母の日になるか楽しみでした。

電話口の母の声は、近年聞いたことのない大きな、力強い、元気な声でした。

ただし、実家でのゴタゴタは私が子どもの頃から全く相変わらずで、母の口からは相変わらず愚痴の言葉が出ているのだけれども。。。

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そういえば、5/9は満月でした。

WSの後、帰宅途中の電車の窓から、いつにも増してまんまるなお月様が顔を覗かせていました。

なんだか、天からの大いなる祝福を感じました。

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ファミコンは素晴らしいグループワークです。

一人でも多くの人に体験してほしいなぁと思うので、次回、6月に開催されるWSの情報をここに掲載しますので、興味のある方はぜひとも体験してみて下さい。

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日時:2009年6月13日(土) 10:00~17:00

会場:横浜市内施設

参加費:¥15000

講師: 佐藤久美子

ファミリーコンステレーションについては下記をご覧下さい。
URL: http://www.HellingerInstituteJapan.com

TEL:090-8088-9013
FAX:046-843-4950
メール:samantha★playback-az.com
     (★を@に変えて下さい。)

☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°

『脱サイコセラピー論』は素晴らしい本ですが、

残念ながら絶版です。

一刻も早い復刻を望みます。

 
 
 
 
 
 
 


 

『愛の法則』は実際のワークショップの記録です。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

心と体のセラピースペースAlma Mater(アルマ・マーテル)

東京江戸川区の心理カウンセリング/ヒプノセラピー/クラニオセイクラル

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2009年5月 8日 (金)

虹だよ!

今日午後6時頃、突然大きな雷鳴がとどろき、
外を見ると目の前の大きなビルにはしっかりと
日が当たっているのに東の空は鉛色。

視線を移すと、大きな虹!!!

しかも極太、極彩色、2重!!

こんな素晴らしい虹が見られるのもほんの数分。

いったい何人の人が気がついただろう?

Rainbow090508

「虹は乾いた青空には架からず、水蒸気の立つ大気にこそ弧を架けるのだ。そしてそれゆえなのか、おれの心の内に湧き上がる陰惨な懐疑の水蒸気の分厚い塊にも、折ふし、聖なる直感の光が差し込み、通過して行き、おれの心の濃霧を射し貫いて、天上の光を架けるのだ。おれはこれを神に感謝する。なぜというに、懐疑に苦悩しないものはこの世にはなく、否定に身を裂かれるものもこの世には少なくない。けれども、懐疑し、あるいは否定し、しかも直感するものは少なくない。地上の全てのものに向かう懐疑と、天上のいくつかのものに向かう直感と、これら二つを併せ持つ人が、信仰者にもならず、無神論者にもならず、この二つを公平な目で見つめる人となるのだ。」

『白鯨』 ハーマン・メルヴィル 千石英世 訳 講談社文庫(下巻P227-228)より

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NOと言えない人に

私自身、NOというのはすごく苦手なのだけど、これは言ってみれば日本人全般にかなり当てはまることなのではないだろうか?

日本は母性社会と言われ、和を尊び、利他の精神をよしとする。

人のために尽くしていることで他人から非難されることはあまりない。

むしろ「良い人」だと思われるのが普通。

だけど、そこが大きな落とし穴だ。

いつもいつも自分より他人を優先にしていると、そのうち自分は何をしたいのか、自分は本当はどう感じているのかがわからなくなってしまう。

自分をなくしてしまったら、本当の意味で他人の役に立つことはできないし、自分の感覚をおざなりにしているとそのうち心身の不調が出てくることだろう。

☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・° 

そんなNOと言えない人にお勧めしたいフラワーエッセンスがある。

Century_2  「セントーリー」(centuary)

とても可愛いピンクの小さな花がたくさん集まるように咲いてます。

上記のような人が、自分の意思で「NO」と言えるようになるサポートとなり、自分を大切にできる意思のバランスを取り戻すのに役立つでしょう。

自分を犠牲にすることなく、互いに尊重しあえる関係を築くために。

 
因みに、現在私も飲んでます。

エッセンスを飲んでいる間は、自分の中にあるNOと言えない気持ちについて、NOと言ったら何が起こると思っているのか、何を恐れているのか、など自分の内面を見つめる作業が続きます。

エッセンスを対症療法的に使わずに、長い目でしっかりと自己と対面するためのツールとして使ってみてはいかがでしょうか?

  

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2009年5月 2日 (土)

『身体が「ノー」と言うとき』

 最近こんな本を読んだ。

身体が「ノー」と言うとき -
 抑圧された感情の代価

著者はカナダの医学博士で、一般開業医と緩和ケア病棟の医師として働いた四半世紀の時間から、様々な病気(自己免疫疾患とされる強皮症・慢性関節リウマチ・潰瘍性大腸炎などや、アルツハイマー病、がんなど)を持つ患者にある共通点があることに気がついた。

それらは、彼らが「ノー、嫌だ」と言えないこと、怒りなどのネガティブな感情を適正に表現することができず、心の奥底に抑圧された膨大な感情をためこんでいることだった。

患者本人には関心をはらわず、病気だけを見て治療する医学に疑問を抱き始めた著者は、近年、人間の心の動きは細胞レベル・分子レベルで身体の機能に影響を与えることを立証し、学問分野として確立しつつある「精神・神経・免疫・内分泌学」こそが自分の求めていた探求の道だと確信した。

著書の中では、深刻な疾患にかかった著名人の幼少時からの心の軌跡を伝記やその他の資料を手がかりにたどったり、多くの患者にインタビューして、彼らの人生が彼らの病気と無関係ではなかったことを明らかにしている。

☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°

心と身体、抑圧された感情と病気の関係については私もきっとその通りだと思っている。

そのことをしっかりした医学的知識と心理療法的視点の両方から詳しく書かれている点でとても興味深かった。

そして、この本は内容がびっしり書かれているので読み終わるまでに結構な時間を要してしまったのだけど、その間に私のところに心理療法を受けに来て下さる方々と接しながら、やはりいかに「ノー、嫌だ」ということが難しいことかということをひしひしと感じた1ヶ月だった。

そして、自分自身のことを振り返ると、私自身「ノー」ということはかなり下手だ。

私の重要な弱点のひとつだと思う。

 
「ノー」ということの恐さ、痛みを自分自身でももっと感じないとダメだ、と思った。

 

そして、ちょうど折りよく、自分を居心地悪くさせる出来事が起こり、勇気を振り絞って「ノー」を表現してみた。

とてもとても小さな「ノー」。

それだけでも随分と自分の中に不安が走った。

それを約1週間の間に徐々に温め、少しずつ「ノー」の調子を強めてみた。

そしたら、2年ぶりくらいに熱を出して寝込んでしまった(爆)。

 
熱が出たのと「ノー」を表現したこととに関係があるかどうかは全くわからない。

でも、興味深い偶然の一致だったことは確かだ。

 

私はもっともっと「ノー」をうまく言えるようにならないといけないなぁと思う。

 
著書の中にはいろいろな重要な言葉があるのだけど、私はあえてこんな言葉を紹介したい。

「怒りとは、幼い子供が自分のために一歩進み出て『自分は大切な存在だ』と宣言するために母なる自然が与えてくれたエネルギーである」

そして、

「これは罪悪感じゃないのかな?やった!素晴らしい!つまり僕は正しいことをしたわけだ。自分が変わるために、自分のために行動したんだ」

「罪悪感を持つことと恨みを持つことのどちらかを選ばなくてはならないときは、いつも罪悪感を選びなさい」

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 心と体のセラピースペース Alma Mater(アルマ・マーテル)

東京都江戸川区のクラニオセイクラル/ヒプノセラピー/心理カウンセリング

                                                                  

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