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2009年3月 5日 (木)

「おくりびと」を観た

話題の映画「おくりびと」を観た。

滝田洋二郎監督の作品は昔から大好きだった。

「木村家の人々」「ぼくらはみんな生きている」「陰陽師」。

その滝田監督の作品がアカデミー外国語映画賞を取ったのであれば見なければなるまい。

そして、納棺師という特殊な職業と「死」というテーマに興味をそそられた。

映画を観て、予想どおりの良い映画だった。

重いテーマをときには厳粛に、ときにはユーモラスに、そして叙情的に、温かく表現していた。

もっくんの演技はもちろん良かったが、山崎努がやはり秀逸。大好きな俳優さんだ。

(ヒロスエはいまいち。なんか薄っぺらい。まぁ、普通っぽくていいのかなぁ・・・)

映画について気のきいた感想文は書けないので、興味のある人はぜひ映画を観てほしい。

☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°

若かった頃、自分が絶対なりたくない職業は死刑執行人と火葬場の職員だと思っていた。

それほど自分にとって「死」は恐かったし、忌み嫌うものだった。
 
 
小学一年のとき、祖父が亡くなった。

別に悲しくもなんともなかった。

当時、私の田舎には納棺師なるものはなく、家族・親戚縁者・ご近所の方々で祖父の体を湯かんした。

それを遠目で眺めていた私は、葬儀の後しばらく、その場面が頭から離れなかった。

当時、これまた我が田舎ではまだ土葬だったので、祖父は家からすぐ近くの墓地へ埋葬された。

土中に葬られた祖父の姿を想像し、その体がだんだん朽ち果てていく様をつぶさに想像した。

そして、自分が死ぬことを想像し、自分の体が朽ち果てていくことを想像した。

死んで自分が無くなるということが理解できなかった。

そして、死が恐くて恐くて仕方なかった。

死への恐怖は片時も心から離れることがなく、でも、「死ぬのが恐い」とか、「死って何?」なんていうことを人に言うことはできず、ただ一人悶々と恐怖に耐え、一人きりになるといても立ってもいられなかった。

あまりの恐さに、そのうち自分でも「このままではまずい」と思い、なるべく死について考えないように、心の回路を切ることでその場をしのいだ。

*~*~*~*~*~*~*~*~

十代の後半の頃、よく自分が死ぬ夢を見た。

特によく憶えているのは、自分が処刑される順番を待っている夢。列はだんだん前へ進み、自分の番が回ってくる。

私は死への覚悟をしなければ、と思うのだが、どうしても覚悟ができない、という夢。

 

私の人生のテーマは「いかに死を受け入れるか」、ということかもしれない、なんて思うことがある。

人生の変わり目で過去の生活にピリオドを打つとき、小さな死を経験すると思う。

会社を辞めたとき、大好きな習い事を止めたとき、大好きな人と別れたとき・・・。

ひとつひとつ執着を手放す体験をすることは、死の予行演習をしているような気がする。

そして、自我を手放すことが楽になると、死ぬことも楽になるだろう、と思う。

(夜、よく眠れない人というのはある意味自我を手放すことがヘタなのだろうなぁと思う。そういう人は死ぬときもきっと苦労するだろうなぁと。。。)

なとど、つらつらと死について想うのだった。

 
「おくりびと」の原作「納棺夫日記」もぜひ読んでみようと思う。

 

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