« 2007年9月 | トップページ | 2007年11月 »

2007年10月

2007年10月30日 (火)

シッダールタ

最近、すっぽりと迷いの泥沼にはまっているので、久々にヘッセの『シッダールタ』を読んだ。

私は自分が苦しいときにはいつもヘッセに帰りたくなる。

『車輪の下』で有名なヘッセがいかに東洋思想に造詣が深かったかは驚くべきものがある。

*~*~*~*~*~*~

この小説の主人公シッダールタは、実在のブッダのことではなく、ある一人の架空の求道者のことである。

シッダールタはバラモンの家系に生まれ、幼い頃から父の下で宗教的生活をしていたが、本当の悟りを求めて出家する。

何年か沙門の下で修行するが飽き足らず、沙門を去って、うわさに名高い覚者・ゴータマに会いに行く。

若者シッダールタが感じた覚者・ゴータマとは、

「その手の指の一つ一つの関節が教えであり、真理を語り、呼吸し、におわせ、輝かせている、と思われた。この人、この仏陀は小指の動きに至るまで真実だった。この人は神聖だった。シッダールタは、この人ほどひとりの人をあがめたこと、愛したことはなかった。」

というものだった。

幼い頃からずっと一緒に育った竹馬の友ゴーヴィンダはすぐさま覚者・ゴータマの弟子となることを願い出た。

しかし、シッダールタは、「教え」によっては決して悟りに達することはできないと思い、あえてゴータマの元を去った。


そして、彼は沙門であることを止め、俗世で一から生きることを学びだした。

遊女に恋をし、遊女に会いに行くために商売を学んだ。

遊女から愛を学んだ。

そしていつしか沙門だったころの精神は彼の人格の奥深いところに沈み込み忘れ去られ、金欲に溺れ、贅沢なものを食べて肥え太り、賭博に精を出すようになった。

だがしかし、ある日、そんな自分に心底嫌気がさして、全てのものを投げ出して、街を後にした。

シッダールタは川のほとりで死のうと思った。

川に身を沈めようとしたとき、彼の奥底から「完全なるもの」という意味を持つ神聖な「オーム」の音が聞こえ、俗世間で暮らした彼の魂は死に、新しいシッダールタに生まれ変わった。

それから彼は、川の渡し守として生活するようになった。

川にはずっと昔から一人の渡し守ヴァズデーヴァという人が仕事をしていて、彼が「川に聴く」生き方に真実を見たからだ。

シッダールタは川からたくさんのことを教わった。

さらに、シッダールタには遊女との間に出来た息子がいることがわかり、しばらくは川のほとりで一緒に暮らすことになった。

それまで全ての煩悩から解放されているようだったシッダールタは我が子への溺愛の情に縛られるようになる。

息子は父親と暮らすことを好まず、やがて悲嘆のうちに息子を手放すことになる。


このようにして、シッダールタは生身の人間としての生を生き切り、生々しい苦悩を体験しながら、人々のどんな愚かしく見える迷いの心にも本当の意味での共感を感じるようになり、慈悲の心を持つようになり、そして、川から世界の真実を見出したのだった。

*~*~*~*~*~*~

この小説はヘッセ自身の宗教的体験の告白と言われている。

私が強く共感するのは、覚者・ゴータマを心底敬愛するにもかかわらず、「教えによって悟ることは決してできない」として、彼独自の道を歩もうとする勇気だ。(シッダールタの場合、勇気云々ではなく、それは「衝動」なのだろうけど)

自分自身の道は自分でしか見つけられない。「体験」でしか学べない。

自分の道を歩むこと以外意味はない。たとえ孤独になろうとも。。。

わたしもがんばろっと・・・、と思うのだった。(稚拙な表現だけど)

*~*~*~*~*~*~*~

「・・・知識は伝えることができるが、知恵は伝えることができない。
知恵を見いだすことはできる。知恵を生きることはできる。
知恵に支えられることはできる。知恵で奇跡を行うことはできる。
が、知恵を語り教えることはできない。

これこそ私がすでに青年のころほのかに感じたこと、私を師から遠ざけたものだ。
私は一つの思想を見いだした。

ゴーヴィンダよ、おん身はそれをまたしても冗談あるいはばかげたことと思うだろうが、
それこそ私の最上の思想なのだ。それは、あらゆる真理についてその反対も同様に真実だということだ!
つまり、一つの真理は常に、一面的である場合にだけ、表現され、ことばに包まれるのだ。

思想でもって考えられ、ことばでもって言われうることは、すべて一面的で半分だ。

すべては、全体を欠き、まとまりを欠き、統一を欠いている。


崇高なゴータマが世界について説教したとき、彼はそれを輪廻と涅槃に、
迷いと真、悩みと解脱とに分けなければならなかった。

ほかにしようがないのだ。教えようと欲するものにとっては、ほかに道がないのだ。

だが、世界そのものは、われわれの周囲と内部に存在するものは、決して一面的ではない。

人間あるいは行為が、全面的に輪廻であるか、全面的に涅槃である、ということは決してない。

人間は全面的に神聖であるか、全面的に罪にけがれている、ということは決してない。


そう見えるのは、時間が実在するものだという迷いにとらわれているからだ。

時間は実在しない、ゴーヴィンダよ、私はそのことを実にたびたび経験した。


時間が実在でないとすれば、世界と永遠、悩みと幸福、悪と善の間に存するように見えるわずかな隔たりも一つの迷いにすぎないのだ」
(新潮文庫P149-150)




「よく聞きなさい、友よ、よく聞きなさい!
私もおん身も罪びとである。現に罪びとである。
だが、この罪びとはいつかはまた梵になるだろう。
いつかは涅槃に達するだろう。仏陀になるだろう。


さてこの『いつか』というのが迷いであり、たとえにすぎない!
罪びとは仏性への途上にあるのではない。発展の中にあるのではない。
われわれの考えでは事物をそう考えるより仕方がないとはいえ。


-いや、罪びとの中に、今、今日すでに未来の仏陀がいるのだ。彼の未来はすべてそこにある。

おん身は罪びとの中に、おん身の中に、一切衆生の中に、成りつつある、可能なる、隠れた仏陀をあがめなければならない。


ゴーヴィンダよ、世界は不完全ではない。完全さへのゆるやかな道をたどっているのでもない。

いや、世界は瞬間瞬間に完全なのだ。
あらゆる罪はすでに慈悲をその中に持っている。
あらゆる幼な子はすでに老人をみずからの中に持っている。
あらゆる乳のみ子は死をみずからの中に持っている。
死のうとするものはみな永遠の生をみずからの中に持っている。

いかなる人間にも、他人がどこまで進んでいるかを見ることは不可能である。
強盗やばくち打ちの中で仏陀が待っており、バラモンの中で強盗が待っている。

深い瞑想の中に、時間を止揚し、いっさいの存在した生命、存在する生命、
存在するであろう生命を同時的なものと見る可能性がある。

そこではすべてが良く、完全で、梵である。
それゆえ、存在するものは、私にはよいと見える。

死は生と、罪は聖と、賢は愚と見える。
いっさいはそうなければならない。

いっさいはただ私の賛意、私の好意、愛のこもった同意を必要とするだけだ。

そうすれば、いっさいは私にとってよくなり、私をそこなうことは決してありえない。

抵抗を放棄することを学ぶためには、世界を愛することを学ぶためには、自分の希望し空想した何らかの世界や自分の考え出したような性質の完全さと、この世界を比較することはもはややめ、世界をあるがままにまかせ、世界を愛し、喜んで世界に帰属するためには、自分は罪を大いに必要とし、歓楽を必要とし、財貨への努力や虚栄や、極度に恥ずかしい絶望を必要とすることを、 自分の心身に体験した。

-おおゴーヴィンダよ、これが私の心に浮かんだ思想の二、三なのだ」


(新潮文庫P150-151)



「これは石だ」と彼は戯れながら言った。

「石はおそらく一定の時間のうちに土となるだろう。
土から植物、あるいは動物、あるいは人間が生じるだろう。

昔なら私はこう言っただろう。
『この石は単に石にすぎない。無価値で、迷いの世界に属している。
だが、石は変化の循環の中に人間や精神にもなれるかもしれないから、
そのゆえにこれにも価値を与える』。


以前ならたぶん私はそう言っただろう。

だが、今日では私はこう考える。

この石は石である。

動物でもあり、神でもあり、仏陀でもある。

私がこれをたっとび愛するのは、これがいつかあれやこれやになりうるだろうからではなく、
ずっと前からそして常にいっさいであるからだ。


-これが石であり、今日いま私に石として現れているがゆえにこそ、私はこれを愛し、その定紋やくぼみのすべての中に、黄色の中に、灰色の中に、硬さの中に、たたけばおのずと発するひびきの中に、その表面の乾湿の度合いの中に、価値と意味を見る。
油のような手ざわりの石も、シャボンのような手ざわりの石もある。
葉のようなのも、砂のようなのもある。


それぞれ特殊で、それぞれの流儀でオームをとなえている。どれもが梵である。」

(新潮文庫P151-152)

|

「心の扉を開く」読書会 11月の予定

Kokoronotobira_2

アイリーン・キャディ著『心の扉を開く』の読書会、11月の開催日は

11月5日(月および19日(月)です。

どちらも午後2~4時まで、ハーブティー&お茶菓子つき、参加費1000円です。

お時間のある方、ぜひご参加くださいませ。

詳しくはこちらをご覧ください↓。

http://www.d2.dion.ne.jp/~shina_s/event.html

皆様のご参加を心よりお待ちしております♪

|

2007年10月29日 (月)

21th and 30th Anniversary

今日は結婚記念日。

なんと21回目の。。。

そして、入籍したのは、2人が初めて出会った日から丸9年経った日なので、

はじめて出会ってから30年目。


なんとすごいことよ!!!

お互いの人生の大半を共に歩んでいる。


私は、ダンナに出会ったおかげで人間になれたと思っている。


私は自分のことをいわゆる「アダルトチルドレン」だと思っていて

常に「いい子」でなければ人から見捨てられる、と思い込んでいた。
(今もそのクセは抜けない)


それが、ダンナと付き合うようになって、それでも最初の何年かは自分のネガディブな面とかを表現できず、自分という人間がいったい何を考えているのかわからなくなりかけていた。

そして、ある日、大喧嘩をして、私はそれまで決して表現できなかった

「100%のNO!!!」

を表現した。

それを言ったことでこれまでの全てが終わりになっても構わないと思った。


それでもダンナは私とこれからもつきあいたいと言った。

私は、その時、最低最悪の自分を表現したと思ったので、

こんな最低最悪の私でも必要としてくれるんだということにカルチャーショックを受けた。


その時初めて、

私はこの世に生きていていいんだ

と思えたような気がする。


はじめて、この世界に

自分というスペースを確保できた。


あれから、長い年月が流れたもんだ。


いろいろと試練もくぐりぬけた。

でも、試練をくぐるたびに

絆は深まったように思う。


そうかと言って、私たちはお互いのことをあまりよく知らない。

お互いがどんな友人関係を持ってるかとか、あまり知らない。

お互いにあまり興味がないみたいで。


私たちはあまり見つめ合ってないから。

一緒に歩いているけれど、見ているものは全然、別。


でも、それでいいんだよね。


たぶん、もっとも深いところで

お互いを信頼していると思ってるから。


今夜は、自宅でフツーに食卓を囲んでお祝いしよう☆.。.:*・°

|

2007年10月26日 (金)

これが長谷川きよしだ!!

長谷川きよしって誰?
全然知らない
興味ない

という人が多い中で、先日のきよしネタに反応してくれたうら若き20代のKazukiちゃんに昨日ファイブリズムズの会で会って、
「長谷川きよしの映像、You Tubeで見ましたよ~、すごかったぁ!」
と言ってもらってとっても嬉しかったので、早速私もYou Tubeを見てみました。
(Kazukiちゃん、You Tubeのこと教えてくれてありがとう! )

DVDになってる「第1回林檎班大会の模様」から映像をアップしてる人がいて、きよしさんの曲が何曲も見れるので、著作権違反はどうなってるんだ?という強い疑問を持ちながらも、ここにご紹介します。

お時間のある人、ぜひ見ていってください。

♪「別れのサンバ」(1969年のデビュー作。ファンとして数多くの演奏を聴いている身としてはベストとは言いがたいこの映像ですが、一応、最もポピュラーなので)なんともフラメンカなサンバ、聴いてほしい♪
http://jp.youtube.com/watch?v=wSFrDiURf0M

♪「灰色の瞳」(かつて加藤登紀子さんとデュエットしてヒットした曲。それを林檎さんがカバーして歌ったのがお2人の出会いのきっかけでした。それにしても林檎さん、声でかすぎ)
http://jp.youtube.com/watch?v=Urk0QFgTc-I

♪「りんごのうた」(林檎的世界ときよし的世界の奇跡的フュージョン!大好きな1曲です)
http://jp.youtube.com/watch?v=FGh9ugc4meA


♪おまけ。
↓は2006年4月の横浜野毛大道芸での仙道さおりさんとのセッションの模様。
映像は曲の途中から始まり途中で終わってるし、画質も最悪だけれど
とてもいい音してると思うし、大道芸の醍醐味が伝わるので見てみてね
http://www.youtube.com/watch?v=nce8f0qsFpM

そしてそして、これらの映像を見て「すげ~!」「かっこいい!」と思ってくださった方、ご連絡くださいませ。
ぜひライブご一緒しましょう♪♪♪

|

2007年10月23日 (火)

野次馬

私はとっても野次馬である。

近所でサイレンの音などがすると気になって仕方がない。


Pa230030 今日の夕方、消防車のサイレンが鳴り響いたかと思うと、その後ず~っとヘリコプターの轟音がしていた。

気になってベランダに出てみると、真っ赤なヘリがある場所でず~っとホバーリングしていて、その周りを10機ものヘリがぐるぐると旋回している。

でも、ヘリの下を見ても煙が出ているわけでもなく・・・

それにしてはあまりにもけたたましいヘリの音。


しばらくベランダで様子を見ていたのだけれど、思い余って、現場に駆けつけてみることにした。

(ああ、私ってなんて野次馬なの・・・、と自分であきれながら。。。)


ヘリの下まで行ってみても、何事もなく、でも近所の人々はしきりに上を見上げており。


一旦は帰ろうかと思ったのだけど、通りすがりのおばさんが「今現場を見て来た」とおしゃべりしているのを小耳に挟み、やっぱり現場が見たい!ともう一度歩き出してみる。

人波の方向を頼りに歩いていると、逆方向から来るおじさんが、「もうちょっと先だよ」と教えてくれる。


その言葉に従って歩いていくと、

んんん???

こっちって、ダンナの仕事場の方角じゃん!!!

と思い至り、

もしもダンナの工房だったらどうしよう~~~

と急に胸が苦しくなる。


以前、今のマンションに引っ越してきて間もない頃、真夜中の消防車の音で目が覚めて、例によって野次馬根性でベランダから下を眺めたら、消防車が止まっていたのは自分の家の前で、火事は自分のマンションの一室から出火していた、ってことがあった。
(幸いこの火事はボヤで済んで事なきを得たのだけど)

ダンナの仕事は可燃性のものを大量に使うので火事は一番心配な事柄なのだ。

ほんの今まで他人事と思って現場探しをしていたのに、まさか自分のところ?!と思った途端に心臓のバクバクすることと言ったら!!!

幸いといおうか何といおうか、現場はダンナの工房ではなかった。


ダンナの工房から本当に至近距離の、民家のプロパンガスが爆発したらしい。
Pa230037

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071023i111.htm?from=main1

報道陣もたくさん詰め掛けて、目撃者の人達にしきりにインタビューしている。

私は複雑な思いでしばらく現場で野次馬見物をしながらご近所の人たちのおしゃべりからおおよその情報を得る。

その家には一人暮らしのご老人が住んでいて、重体とのことだ。


可哀想に。。。

その大変さは想像を絶する。


でも、やっぱりそんなに感情移入はできず、自分の矮小さをものすごく感じるのだった。


私ってぜんっぜんスピリチュアルじゃないなぁと思う。

「あなたはわたし、わたしはあなた」なんて全然なれない。


でも、これがわたし、なのです。

わたしは下世話な人間です。

たまには美しくて感動的なことを書きたいけれど、私を駆り立てるのはこんな事柄なのだった。。。


Pa230040 帰り道、ほの暗くなった空には膨らみかけたお月様が煌々と輝いていた。

|

2007年10月21日 (日)

今年もいいじゃんかわさき!

Pa210040   Pa210041

     (音合わせの様子。本番中は撮影&録音禁止でした) 

今朝起きて、まっすぐにベランダに出てみると、雲ひとつない日本晴れ!

「ああ、調弦が大変だなぁ」と思う。


今日は、一年ぶりの「いいじゃんかわさき」での長谷川きよしライブに行く日。

以前の路上ライブのとき、きよしさんが「野外ライブは太陽の出具合によってすぐに弦が緩んだり固くなったりするので調弦との戦い」とおっしゃっていたのを思い出す。

11時半からのライブに20分程余裕をみて現地に駆けつけると、すでに人垣が!
でも、今はまだ音合わせ中。

私は、きよしさんの姿を見るなり、胸がキュンとする。

あ~~~、あった!  というか・・・、いた!!、というか・・・

自分の魂のふるさとへ戻ったような安堵感と高揚感。

単に恋する乙女のトキメキ、かな?


きよしさんの歌う姿はいつ見ても神々しくて、私には人間とは思えない。

歌う精霊が剥き身でそこにいる、というか。

歌を歌うためだけにこの世にやってきた。そのためにわざわざ盲しいて。。。


なんだか私にとってはとても象徴的で、抽象的な存在なのだ。

ユングの言葉を借りれば、私のアニムスを象徴しているような気がする。

*~*~*~*~*~*~

今日は10月後半とは思えない”焼けるような”日差しの中、3ステージ演奏した。
第1部は主にフランスの曲を、第2部では主にサンバを、そして第3部ではオリジナル中心の曲を。

今日の司会者はきよしさんのことを「ワールドミュージック」というカテゴリーで紹介していた。
一番ふさわしい表現なのだろうなぁ。

驚くことには1970年代のはじめにイランやアルジェリアの曲を歌ってたりする。
(私はこの辺の曲を聴くとゾクゾク、ドキドキ、ワクワクするのだ)

観客として、太陽に背を向けて見ているだけで相当暑いのに、太陽に向かっているきよしさんと仙道さおりさんは本当につらそうだった。

でも、今日のお天気にふさわしく、とてもいいライブだった。


きよしさんに関してはアルバムを聞くよりもライブに行くほうが圧倒的に感動的で、しかも、私は路上ライブが一番好き。

オープンな空気感がたまらない。

マニアックなきよしファンばかりでなく、はじめてきよしさんの歌を聴く人がたくさんいるのがまたうれしい。

3度目のライブの後はアンコールもあって、すごく楽しいライブだった。

*~*~*~*~*~

ライブの後、川崎の街を少しブラブラしてから川崎駅で東海道線を待っていたら、なんと、きよしさんが奥様と一緒にホームに現れた!!!

ゲゲゲ~~~

奥様には私の面は割れているので、東京駅まで一緒に帰ることになった。

これを幸運と呼んでいいのだろうか???


たぶん、幸運なのだ。


で、でも、

私は、好きな人の前では緊張して何もしゃべれなくなってしまうタイプ。

他のファンの人も一緒ならばいざ知らず、私だけ。


もう、何を話していいのか分からないし、うれしいというよりも、東京駅まで冷や汗タラタラだった。


私は、きよしさんのことは遠くからひっそりと応援すればいいやと思ったのに、こういうことになるのだなぁ。。。

不思議だなぁ・・・

*~*~*~*~*~*~

たま~にいるマニアックなきよしファンのために、今日の演目を記載してみる。
(こんな、演目をメモするなんて、はじめてだ)

1st Stage
1.人生という名の旅(アンリ・サルバドール作曲)
2.透明なひとときを
3.木漏れ日の庭に(アンリ・サルバドール作曲)
4.いつものように(マイウェイのフランス・オリジナルヴァージョン)
5.エベ(ウニョラモス作曲、きよし作詞)
6.灰色の瞳
7.後姿
(「サルバドールの曲、今日はじめて聴きました」って言ったら、「そうですか、結構前から歌ってますよ」って言われちゃった。私って記憶力ないので、聴いても忘れちゃうのだ。最近、サルバドールのアルバムを何度か繰り返し聴いて、やっと耳に馴染んだから、「あ、サルバドールの曲だ」ってわかったんだ、と後から思った。ファンとして恥ずかしい(~_~;)

2nd Stage
1.走って空をごらん(カルトゥーラ)
2.別れのサンバ
3.カルナバルの朝(黒いオルフェのテーマ)
4.マシュケナダ
5.愛の終わりのサンバ
6.トリステーザ

3rd Stage
1.歩き続けて
2.フライミートゥザムーン
3.悲しい兵隊
4.黒の舟歌
5.組曲ふるいみらいより「アリ」「小舟」「ワシ」「よろこび」
6.後姿
アンコール:別れのサンバ

*~*~*~*~*~*~

きよしさんの話題って書いてもあまり反応がないので、書いても意味ないなぁと思いつつ、毎回書かずにいられない。

しかも、もっと気の利いたことを書きたいのに、いつも自分の痒いところに手の届いた文章がかけないことが情けない。

                      from Esalen(R) Bodywork Salon Kai~海~

|

2007年10月15日 (月)

フィンドホーン・スピリット

     071015_2
今日、はじめてサロンで『心の扉を開く』の読書会を開きました。

HPやチラシに掲載はしたものの、および腰でなかなか実現しなかったこの会、あるクライアントさんがぜひ参加したいとおっしゃってくれて、やっと本気で開催を決意し、改めてご案内メールを出したりMixiに開催案内を載せたりしました。

でも、反応はあまりなくて、ギリギリまで「1対1かぁ、きついなぁ」と冷や汗。

しかし、結局参加者は私を含めて4名となり、小っちゃいけれど輪ができて、とても気持ちの良い時間を共有することができました。

やっぱり「決心することは偉大だなぁ」というのが今回の最初の学びとなりました。


読書会ではフィンドホーンの集まりでいつもするように、輪の中心にお花とろうそくを飾ってみました。

準備してみて、それだけでかなりうれしい気分になった。

このお花&ろうそくのサンクチュアリーの力ってすごいと思う。


・フィンドホーンなんて全く知らない人。
・ちょっとスピリチュアルに目覚めちゃったけど、周りにそういうこと話せる人いないし。
・超ローカルな話題で共感できるご近所さん。
・そして、自分自身を一生懸命に生きたいと思っている人。

そんな方々が集まっていろいろお話できました。

私にとってもまた新しい情報が入ったりして、今後の展開がまた楽しみです。

*~*~*~*~*~

ところで、先週、10/12に、フィンドホーンから来日中のジュディス・ボーンのミニ・ギャザリングがあって参加したとき、私の引いたエンジェル・カードは"Play(遊び)"だった。

たしか昨年フィンドホーンに行ったときに引いたのも"Play"だった。

(因みに、ジュディスの今年のテーマは"Play"なんだそうだ)


私は相当"楽しむ"ことを学ばなければいけないらしいなぁと思う。

今の状況で、どんな風に"楽しみ"を持ち込めばいいんだろう???と悩む。


だけど、目に見えない存在のディーバたちは人間の力を必要とするということだ。

ディーバと人間の共同作業。

ということは、"Play"のディーバは私の肉体を必要としているということ。

じゃあ、どんどん私の肉体を楽しみのために使ってよ!と思う。

そして、"Play"のディーバが私のことを助けてくれるのだろう。。。



今日の読書会で読んだのは10月15日のページ。

今日の言葉はなんと

「いきいきと生き、楽しみなさい


これってあまりにシンクロだぁ~~~!


12日のギャザリングでたまたまおしゃべりをした女性は江戸川区の方だった!

そして、今朝電話をくれて、急遽読書会に参加してくれることになった。


やっぱりフィンドホーンってマジックが多いと思う。


アイリーンは昨年亡くなった。

でも、肉体を離れたおかげでアイリーンの魂は世界に偏在することができる。

生前よりもずっとアイリーンと繋がりやすいんじゃないだろうか?


そして、アイリーンの意思を実現するためには私たちの肉体が必要なのだ。

もう、私たちがアイリーンの意思を世界に伝えるときなのだ。


今朝、アイリーンにサポートを求めた。


しっかりサポートしてくれたと思う。


私はアイリーンの信者でも熱烈なファンでもないけれど、フィンドホーン・スピリットを今ここ、私の毎日生活しているこの場に持ち込みたいと切に思っている。

人々が自分の本質に触れて、そこから自身の愛を世界中に送り出すこと。

私なんかがフィンドホーンについてあれこれいうのはとてもおこがましいけれど、私は私なりに何かを伝えていきたいな。


そして、私の試みに賛同してくれる人がいるということがとてもとてもうれしい。

*~*~*~*~*~*~

これからも継続して第一・第三月曜日に読書会を開催していきます。

興味とお時間のある方、ぜひぜひご参加してください!

もし、「とっても参加したいのだけど曜日や時間帯が合わない」って人がいたらご連絡下さい。

少し人数がそろえば(私を除いて2人以上)、平日夜の会とか、午前中の会とか、作ってみたいと思います。


P.S.この会を開いて一番エネルギーをもらったのは間違いなく私だ(いつもだけど)。
                    from Esalen(R) Bodywork Salon Kai~海~

|

2007年10月13日 (土)

'07/10/12の夢

昨夜、妙にはっきりとした夢をいくつも見る。

*~*~*~*~*~

飛行機に乗っている。行き先はバリ島っぽい。
座席は最前列。

と言ってもまるで操縦席にいるように窓から全面外の景色が見える。私は離陸の様子が全部見れることをとても楽しみにしている。

機体は滑走路に向かって動き出す。

機体が妙に軽々しく感じられ、「こんなんで大丈夫かなぁ?」とやや不安。

飛行機はジェットエンジンをふかし、一気に離陸する。

「わぁ~!」としばし浮遊感を楽しむ。

が、しかし。

目の前に別の飛行物体が私の飛行機を引き離して一気に空高く舞い上がるのが見え、「なんで??」と思っていると、私の飛行機は急に失速し、上へ上がれず、下降しはじめる。

もはや飛行場の敷地外。

普通の道路を超えた空き地(?)に軟着陸する。

なんてこと・・・

離陸失敗

が、でも、こんな事態になっても機体も自分の体も無傷なのはそれ自体が奇跡ってことか。。。


*~*~*~*~*~

朝起きて、この夢を反芻する。

そういえば、私はサロンを軌道に乗せたいと思っていて、それがなかなかすんなりとはいかず焦っていた。


そのまんまやん!!!


*~*~*~*~*~*~

他の夢。

①上記の夢とも繋がってるみたいだけど、なぜか姪っ子の携帯電話(ごっつい腕時計のような形)を私が持ってきてしまったらしい。
このことを姪っ子に知らせなきゃ、と思っている。

②何人かと合宿(?)のような宿泊をしている。
外は雪山(谷川岳とか八ヶ岳のような)が夕日に映えてとても美しい。
私はその美しさをもっと堪能しなくちゃ!と思っている。

この夢は飛行機の離陸失敗とも関係しているようだ。
「飛行機の方は残念だったけど、こっちにも素晴らしいものがあるよ、この美しさ、見れるのは今だけだよ」って思っているみたい。

                    from Esalen(R) Bodywork Salon Kai~海~

|

フィンドホーン・ナイト

昨夜はフィンドホーンから来日しているジュディズ・ボーンがリードする集まりに出かけた。

デュディスは昨年私がフィンドホーン体験週間に参加したときのフォーカライザーの一人。

ジュディスの人柄はとてもサバサバとしていて、clever(賢い)感じの人。

特にスピリチュアル・ヒーラーのような風情は全くない。

そこが私をほっとさせる。

そのまんまでいいと安心させてくれる。

ジュディスは私の顔を見ると、「あなたの顔は覚えているわ!名前は思い出せないけど」と言って親しみを持って迎えてくれた。

たったこれだけのことでもうれしいものだ。

「自分の存在を認めてもらっている」という感じかな。

フィンドホーンの集まりでは必ずエンジェルカードを引いて、今自分にとって必要なクオリティーのエンジェルを呼び寄せる。

今回引いたカードは「Play」

あれ?

これ、去年フィンドホーン体験週間で引いたカードと一緒だ!

う~~~む、私にはまだまだ「遊び」の感覚が足らないかぁ~~~

いや、「遊び」の天使が私を助けてくれるということか・・・

天使と人間が共同作業をするとしたら、「遊び」の天使は私の肉体を必要としているってことだよね?

今の私に「遊び」の要素をどんな風に取り入れたらいいのかなぁ?

天使さん、教えてね!!!

*~*~*~*~*~

フィンドホーンで大切にされること、それは「愛」。

ピーター・キャディはいつもこう言っていたという。

自分と一緒にいる人を愛しなさい。

自分がしていることを愛しなさい。

自分がいる場所を愛しなさい。

そして、自分自身を愛しなさい。

                    from Esalen(R) Bodywork Salon Kai~海~

|

2007年10月12日 (金)

新小岩隠れ家レストランPomme Pomme

Pa110026

先日、チラシを配りながら街を散策していたら、松島3丁目に素敵なお店発見。

このお店、いったい何人の人が知っているだろう?

宣伝・広告など見たことがない。
しかも住宅街の中にあって。

以前、この近所に住んでいたことがあって、その頃からいつも綺麗なお花が咲き乱れていて素敵なお家だなぁと思って通りすぎていた。

それが、数年ぶりにここを通りかかったら、なにやら看板のようなものが設置されている。

あれ?っと思って覗き込む。

P9250031 でも中の様子はよく見えないし、一見お店のように見えても違ってたり、レストランのように見えて美容室だったりするので、ついお店の前を行ったり来たり・・・

挙動不審な人間を見つけて中から女主人が顔を出した。

聞けば、6年程前から自宅をお店に改造して営業しているらしい。私がこの辺りから引っ越してから開業してるのだ・・・

お客様はご近所の女性たち。

え~~~、こんな風にお店をやっている人って結構いるもんだなぁと
なんとなくうれしい。

日を改めて、昨日、ランチにお邪魔する。

店内にはメニューもなく、

「今日のランチは、お肉は○○か○○、お魚は△△か△△」と説明される。

お値段も不明(~_~;)

Pa110025  で、注文したのはシンプルにハンバーグ(*^o^*)

コーヒー付きで890円でした。

店内もとても素敵な内装だったけれど、他にお客様がいらしたので写真を撮ることはできませんでした。

また時間を見つけて行ってみようと思います。

私のところも地元のみなさまに愛されて日常的に利用していただける隠れ家サロンになりたいなぁと強く思ったのでありました。

エサレンR)ボディワーク・サロンKai~海~もどうぞよろしく。
http://www.d2.dion.ne.jp/~shina_s/

てへっ =^_^=

☆.。.:*・°

|

2007年10月 8日 (月)

フラメンコ復活!?

Ca250479 昨日、1年半ぶりにフラメンコシューズ履きました!

先月マイミクmanaemonさんの発表会を見に行って、久々に血が騒ぎ、
この「血が騒ぐ」感覚を大切にして、
とにかくここらでひとつ踊ってみようって思って、御茶ノ水まで大塚友美さんの教室に行って参りました。

今はまだフラメンコに情熱を注げる状態ではないのだけど、月に2回というのが今の私にとって無理がないので、いつまで続くかわからないけど、とりあえず通ってみます。

あ~~~、フラメンコって全身運動だねぇ!
久々に「筋肉使った」って感じです。
身体の奥から外側まで総動員する感覚、
これもまた久しく忘れてたよ~~って感じです。

フラメンコな汗も気持ちいい。

フラメンコって「命を燃やす」って感じです。
くすぶってる自分の中のものを一気に燃やし昇華させる感じ。

教室には知ってる顔がいっぱいいました。
顔を合わせる人はみんな好みが一緒なんだね。

・・・というわけで、私のフラメンコ・リハビリ生活、
どうなりますことやら。。。


写真は教室に向かう途中で立ち寄った
神田明神と秋の空、です。

|

2007年10月 5日 (金)

エサレンな夜

昨夜はエサレン・ボディワーク・ティーチャーのブリータ・オストロムのミニ・ワークショップに出かけた。

たまにはエサレン講師の講座に出ておかないとエサレンの勘を忘れそうだし、自分のボディワークがワンパターンになっちゃうし・・・、っていうので、とても気軽な気持ちで参加したのだけど・・・


あまりに濃密な深い2時間に、私は心底感動してしまって、またしても皆の前で泣き顔を見せちゃったよ(ToT)


ああ、本当に参加してよかった!!


ここが私のホームグラウンドだ!って心の底から思えた。


ここしばらく自分の魂は行き場を失ってさ迷っていたような気がした。

一人で心細かった。


でも、帰るべき場所はここだ!!!って・・・


ああ、エサレン・ボディワークってなんて素晴らしいんだろうって、改めて、思い出した。

*~*~*~*~*~*~

ブリータは、「エッジ」の話をし始めた。

エサレン研究所は今、あるエッジに差し掛かっていると。

エサレンのある部分はとてもうまく行っているけれど、ある部分はまだ手がつけられておらず問題を抱えている。

それを何とかしようと、エサレンのコミュニティーのメンバーが全員で集まってディスカッションを始めた、と。

ある者はある者に対して、言いづらいことを言わなければならない。

また、別の者は現状のシステムについて受け入れがたいと言わなければならない。

それは心地よい状態ではない。


でも、その心地よくない状態、つまりエッジこそが成長を促すのだと。


人は実に様々なエッジに直面しながら成長していく。

ブリータにとって、エサレンのセッションでクライアントに触れるということそのものが、エッジだという。


エッジとは、既知と未知との境界線。

ブリータは、セッション・モデルの身体に触れながら静かにエッジの話を続ける。


クライアントの身体を感じながら、自分の直感を待つ。

クライアントはどんな風にしてほしいんだろう?

どんな風にしてほしくないんだろう?


毎回毎回エッジに立つことで段々と感覚が深まっていく。


ブリータは待つ。


自分の直感に従ってクライアントに触れていく様は、「これでもか」というほどゆっくりだ。


その、触れる様は、「ほんとうに触れている」という触れ方。

段取りでない。

「本当に触れる」ためには一瞬一瞬がエッジなのだ。


この触れ方がエサレンなんだ!


プラクティショナーがこんな風に触れていることで、クライアントが「自分自身を感じていい」という許可を出すことができる。


「今ここ」を感じるとはこういうこと。


ブリータのデモを見てそう思った。


*~*~*~*~*~

ブリータの「エッジ」の話にものすごく反応した自分がいた。

それは、自分自身が今、エッジの上にいると思うからだ。

しかもエッジはひとつでなくてあっちにもこっちにも。


断崖絶壁の上にいるみたいだ。


でも、エッジの上にいるということは、自分が今、成長しようとしているからなんだと思えてうれしかったのだ。

苦しくてもここにいなければならないと自分を励ましたい気持ちになったからだ。


ある参加者がブリータに質問した。

「人は成長するとだんだんエッジが減るんでしょうか?

ブリータみたいになったらエッジはあるのですか?」


ブリータは言った。

「私にもたくさんのエッジがあります。

ひとつは、自分の身体が老いてきていること。

この身体と一緒にどうやってこれから先やっていったらいいかというのは私のエッジです。


それに、たった今のデモ自体が私にとってはエッジでした。

『直感』という言葉を使ったけど、それはそんなに確固としたものではない。

こんなこと言って本当に正しいの?って思いながら、みんなの前でデモすること、

これは私にとってはエッジなの。」



エサレン・ボディワークは、触れる前段階として、確固たる人生の哲学があり、それがそのままボディワークという形に具現化されている。

マッサージをしていないときも、マッサージ中も、その後も、いつもいつもエサレンのスピリットはそこにある。


エサレンのスピリットに包まれて至福の2時間だった。


*~*~*~*~*~

顔を真っ赤にして泣いている私を仲間達が覗き込む。

そして優しく声をかけてくれたりハグしてくれたり。

うれしくて、同時に恥ずかしくて、たまらなくて、また涙が出ちゃう。


自分が人から助けられる立場というのに慣れてなくて、ちょっと居心地が悪い。

でも、私自身が皆の前でちゃんと気持ちをオープンに出来なかったら

どんなクライアントさんが私というセラピストに心を開いてくれるだろう?


だから今は、これでもかっていうほど、みっともない自分をさらけ出さなければいけないんだろうなぁと思う。

*~*~*~*~*~*~

セミナー後、仲間とお食事をし、長話をして、深夜に帰宅する。

立ち話の最後に言われた言葉、

「ゆっくりがいいよ」

が今の私に心地いい。


なんか焦ってたなぁ・・・

「次元の上昇」とか、「波動が上がってる」とか、「流れが速い」とかいう言葉に知らず知らずに踊らされてた。


ほんとにバカだね、わたし。


いいんだよ、ゆっくりで。

海の表面の早い波じゃなくて、深海の重々しくゆ~~~~ったりとした大波のように

悠々といこう。


*~*~*~*~*~*~

「僕はとても不完全な人間なんだ。不完全だししょっちゅう失敗する。でも学ぶ。二度と同じ間違いはしないように決心する。それでも二度同じ間違いをすることはすくなからずある。どうしてだろう?簡単だ。何故なら僕が馬鹿で不完全だからだ。そういう時にはやはり少し自己嫌悪になる。そして三度は同じ間違いを犯すまいと決心する。少しずつ向上する。少しずつだけれど、それでも向上は向上だ。」

(『ダンス・ダンス・ダンス』村上春樹(講談社)下p107)

                    from Esalen(R) Bodywork Salon Kai~海~

|

2007年10月 2日 (火)

歓迎します!

昨日はまたハコミの自主勉強会。

8月にFEのセッションを始めてから、自分の意識が感情的なところにフォーカスし出しているので、ハコミにも自然にフォーカスしつつある。

先日のロンに指摘された指標を使って再びワークしてみた。

自分の感情を隠そうとしていることについて。

私はロンを前にして、「どうして私はこんなにも自分の感情を隠そうとしているのだろう?」という言葉が頭の中でぐるぐると回っていた。

ロンはその言葉そのものを、誰かに肩代わり(テイクオーバー)してもらって聴いてみて、何が起こるか試してみるといいとおっしゃった。

セミナーのときは、ロンの指示通りではなくて、そのときに頭に浮かんだ幼い頃のある光景からワークをしてみたので、昨日はロンの指示通りにやってみた。


先ずは、マインドフルネスという精神状態に自分の心を落ち着かせる。
マインドフルネスとはそんなに大袈裟なものではなく、目を軽く閉じて、日常的なガサガサした意識をちょっと脇に除けて、静かで落ち着いた状態になればよい。

そして、セラピスト役の人にそっと声をかえてもらう。


「どうしてこんなにも感情を隠そうとするんだろう?」


私の中から

「どうしてそんなに頭で考えようとするんだろう?」という別の声が聞こえてくる。

今度は、もう一人別の人にも手伝ってもらって、

「どうしてこんなにも感情を隠そうとするんだろう?」
「どうしてそんなに頭で考えようとするんだろう?」

を交互に言ってもらう。

そしてさらに

「頭で考えなくていいんだよ」

という言葉もかけてもらう。


すると、私の中からは

「頭で考えようとしないなんて無理!

頭は大切!!!」


という声が聞こえてくる。


私は頭の左側を手で支え、膝を立てて体を丸くしている。


セラピストが、頭を支えている手をアシスタントに代わりに支えてもらうことを提案する。

私は提案どおりに頭を支える手を他人に肩代わりしてもらい、ついでに立てていた膝も伸ばして楽な姿勢になる。


そこで、もう一度さっきと同じ言葉

「どうしてこんなにも感情を隠そうとするんだろう?」
「どうしてそんなに頭で考えようとするんだろう?」

をかけてもらう。


そしたら、

あれ?


わたし、あたまで考えられない・・・


体が楽になったせいで、精神が休憩モードに入っている。


そこで、セラピストがまた声をかけてくれる。


「感情を隠さなくていいですよ」

「ここでは、どんな感情も歓迎されますよ」

「あなたの嫉妬や疑いの気持ちなど、なんでもそのまま歓迎しますよ」

(最近、よく嫉妬や疑いの気持ちなど持つんです。
なので、「ホリー」飲んでます。)


自分で自分を支えるという行為を肩代わりしてもらい、体の力が抜けた状態で聴く言葉は、す~っと自分の中に入ってきた。


「どんな感情も歓迎しますよ」

という言葉をうれしく感じる。


じんわりと涙が出てくる。


どんな感情も「受け入れますよ」ではなく、「歓迎します」というところがミソ。

とても積極的に、自分がありのままの感情を表していいのだという気持ちになってくる。

自分のどんな感情も、「悪くない」どころではなく、積極的に「価値がある」ことだと思えてくるからだ。


セラピストの声にウソは感じなかった。

それでも、「歓迎します」の言葉に対して

「ホントか~?」という疑いの気持ちもやっぱりある。


それを告げると、その「ホントか~?」の気持ちも、そのまま「歓迎しますよ」と言う。


ああ、なんてうれしい言葉なんだろう


自分の中のチャイルドが疑い深そうに、大人たちの目を見つめたがっている。


本当に、ホント~~~に「歓迎してくれる」のか、確認したがっている。


私は、ゆっくりと目を開けて、セラピストの目を見つめた。

セラピストも涙ぐんでいた。


私はありがたい気持ちでいっぱいになった。


「こんな私をそのまま受け入れてください。ありがとう」

という言葉が出てきた。


それから、そのときのアシスタント役の2人を順番に見つめていった。

「よろしくお願いします」

という言葉が出てきた。


こんな私を、どうぞよろしくお願いします。


私のリハビリは続くのだった。

*~*~*~*~*~*~

昨日のワークの体験から、私のフラワーエッセンスについての考えにちょっと変化が起こった。

私の中ではFEとは「こうありたい自分になるために」サポートしてくれるもの、というようなニュアンスがあり、それが、「ありのままの自分を受け入れる」という考えと相反するような気がしていて、どうも自分の進みたい路線として矛盾を感じていた。

自分にとって不都合なネガティブな感情を消すためにFEがあるとしたら、なんだか違う。
もちろん教科書にはもっと美しい言葉で書いてあるんだけど、自分の実感として感じ取れない。

でも、どんな一見ネガティブな感情でも価値があり、歓迎されるべきものであるとしたら、今、FEを必要としている感情は、FEを飲むことで「歓迎される」って考えたら素敵だなと。

今、浮かび上がって来ている感情を、「歓迎しますよ」って心の中で言いながらFEを飲む。
赤ちゃんにお乳をあげるみたいに。

パブロが「虎を抱きしめる」と言っていた、そのように。


そしたら、その感情は自分から切り離されたものではなくて、自分の一部として統合されていく。

感情を自分の中に統合するためにFEを飲むんだな・・・と。


あれ?今頃こんなこと言ってていいんだろうか?一応、プロなのに・・・

いや、どんなことがあっても、今の自分をそのまま「歓迎」しようっと。。。


*~*~*~*~*~*~*~


そもそも、

「自分は人から歓迎されていない、私なんかいない方がいいんじゃないか」というビリーフ(思い込み、信念体系)があるから、こんなにも「歓迎します」という言葉に反応するのかもしれない。

あれ?でもビリーフが堅固だったら、「歓迎します」という言葉自体を受け入れられないかもしれないな。。。

                    from Esalen(R) Bodywork Salon Kai~海~

|

2007年10月 1日 (月)

ブログテンプレート変更

10月になり、秋も深まったので

ブログのテンプレートを変更してみました。

写真は、昨年(2006年)群馬県赤城山で開催した「声と動きと気のワークショップ」の後に散策した赤城大沼のお魚たちと、覚満淵のお池で漂う鴨ちゃん。



|

« 2007年9月 | トップページ | 2007年11月 »