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2007年9月10日 (月)

Be Still and Know I Am

今、『スティルネス バイオダイナミック・クラニアル・プラクティスと意識の進化』という本を読んでいる。

すごい本だと確信しているけれど、文章が難しくてなかなか読み進められない。

訳者序文の中でシュタイナーの『神智学』からの引用がある。

「本書は・・・どの頁も、個々の文章が読者自身の精神作業によって読み解かれるのを待っている。・・・ただ通読するだけの読者は、本書を全然読まなかったに等しい」

それと同じようにこの本を読んでほしいと。

原著者の文章が難しいのか、訳のせいなのか、日本語としての文法すら???な状態で、魚がエラ呼吸をするように読み進めるわたし。

今日読んだ中で、心に残る文章があった。
自分がよく感じる無能感に響く言葉なのだった。

私が聞くもっともポピュラーな質問の1つが「私はセッション中、何もしていないのに、どうして患者は私を必要としているのか?」である。患者は、施術者が何もできないから、施術者を必要としているのだ。固有治療プロセスを妨げることなく静止で休息すると、施術者は患者が第1次呼吸へとリラックスするのをサポートする。自分の心臓に深く留まる能力は、患者の心臓にコヒーレントなポーテンシーを著しく増加させ、それで第1次呼吸は自分の仕事を行うことができる。しかしながら、患者が施術者よりさらに静止の育成が進んでいれば、その人は施術者を治療していることになる。それは、その人の心臓のコヒーレンスの上位秩序が施術者の心臓場を生み出し、それによってそのコヒーレンスを増大させるからである。それが、いままでのところ力強さが施術者たる施術者にある理由である。患者に同じことができるようにする前に、バイオダイナミクスにおける生きた例のモデルー語り部ーとなること、が私たちの責任である。 (P45-46)



クレニオとバイオダイナミクスの創始者Dr.サザーランドはその生涯の最後に"Be Still and Know(静まりて知るべし)"と言った。

この本の著者はそれに少し付け加えて、

"Be Still and Know I Am(静まりて己を知るべし)"が、バイオダイナミクスに対する究極の姿勢であると言っている。

                    from Esalen(R) Bodywork Salon Kai~海~

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